音個の速度・第四部・「クレイジーダイアモンド」(調書作成をかねて)

 散々ストレスによって追い詰められた挙げ句、ある耐え難いほどの幸福の夜が、いきなり訪れた。「おれは悟った。たぶん、悟り、というのは、こういうことだろう。生きてるだけで幸せだ」「多分、そういうことだろう」と、ある夜、不気味な投稿をFB上に上げ、その翌日…いや、数時間後、音個全裸で警察に保護された。意識がはっきりした時、十数名ほどの警官になだめられており、もう、ありとあらゆる点で恥ずかしかった。なんてったって、完全に裸体だ。そこを、あんないかつい武装した人たちに保護されてみたまえ、恥ずかしいと同時に…怖いわな? 何か、おかしなことが起こっても不思議ではないわな? 男にモテますからね。…いや、ないから! ちがうから!

 …ただし、誰かの代わりに恥をかいているようなところもあった。周りの方々はとてつもなく優しかったが、やっぱり音個は、それでも、どうしても、恥ずかしかった。常に、なぜか、笑っていた。恥ずかしながら、それでもこの国でいきていた。日本である。困ったことに場所は日本である。なにかと、息苦しい狭苦しいが、人情がある国、まだ、それは残っていると思う。

 それは三十六歳の初夏のことである。贔屓目にみることにするが、生まれつき優しかった。ほかの誰よりも優しかったといいえるが、ただ、弱かった。虚弱ですらあった。すでに右足も失っていた。2.0あった視力も、今では、ほぼなかった。利き腕はふるえていたが、

得意の、しかしへたくそなエレキ

を弾く時だけは何とかおさまっていた。

 馬鹿であった。人を信頼することしかなかった。あほであった。そのくせに懐疑精神の塊のような矛盾した点もあった。

つまり、ぶっちゃけ、人間らしかったのである。

実は、完全に自信はなかったが、それでも、なんとか、なにか大事なひとつくらいは守れるのではないか、と、強がって、暴れたこともあったが、人を意図して直接暴力をふるうことは絶対になかったといいえる。十数年に及ぶ、医療過誤から、薬物中毒癖に陥っていた。しかし、その医療過誤がなくとも、結局はADHDは、実にわかりやすく説明するなら、「生まれ持っての禁断症状を抱えた身」である。そんなこと、症状を見れば一目瞭然だ。

 集中力が続かなかった。それで、時に空気は読めず、周りに被害が及ぶことが多かった。…ただ、いちずであった。無防備、なまでに、無残なまでに。あの顔で。

みたてでは、生まれついての発達障害であり、先に触れたように、16年間誤診を受けていた。無様であった。それは、世界中が見落としていた、ごく単純といえば、単純なメカニズムなのだ。が、この国で、その理解は、少なくとも、2019年6月まで、なかった。音個が二度目の勾留を経て、公判をおえるまで、である。

実際、あらゆる点で気を使う方なのであったが、不注意が、それを台無しにする。それで、時に我慢(強い方だった、といい得る)ができずに、暴れることがあった。

 当時、はや、誰も話はきかなかった。すくなくとも半分くらいしか、聞いてはいなかった。それで、時に罵声を浴びせた。さらに相手にされなくなっていった。それがまた、音個の言葉を辛辣なものに叩き上げていった。

 …犠牲がいる、そう思った。スケープゴートがいる。そう思った。ただし、おれが死ねば、次に被害を被るのは、家族か友人か、彼を愛す人とか、とにかく、「おれの次にさみしいやつだ」。そう信じ込んでそれを証明したかった。意地になって。

 …36歳の初夏のある日、人間関係も破綻し、一切に希望を見いだせなかったある日、いろいろ、脅迫やPCハッキングをくらわされて、正直怯えて混乱していた。死んでもいい、と思った。しかしところが、やっぱり音個は最後のところで、勇気がなかった。悔しかった、無性に悔しかった。思い切って最後のところを見せつけようと思い、ざまあみろ、そういってから、目につく限りのもの(薬品等)を飲んだ。それでも、やっぱり生きていた。天井からぶら下がるイメージが、音個を捉えきっていた。

抵抗した。

それは先にやられていた。だから、抵抗し、また、そのときは薬物の影響下により混乱していたため、できなかった。

…次の犠牲、とにかく、おれの次にさみしいやつ、だ。そう信じ込んでいた。ほとんどの点では的を得ていた、といいえる。

…徹底的に恥をかけばいい、そう思った。壁は崩せなかったので、よじ登って乗り越えた。それも、血まみれで。

助けてくれだれか。暴れながらも、助けを求めた。気が付いたときに警察に保護されており、泣いていた。ひとりで、膝を抱えて。

 安易であったと思っている。しかし、おれのほかの誰か、あるいは一人、あるいは集団で安易ではなかっただろうか。助けてくれ。少し休ませてくれ。お願いだ;。水を飲ませてくれないか。

これ以上、今は悲惨なことを聞かせないでほしい。

おれのほかにその悲惨な片隅を、直視、してなかったのではなかろうか。やや、そう思う。

悲惨なところからは目をそらしていなかったか。少しそうおもう。

今朝、おれの部屋を、一瞥してから、「これはひどい」。警察はそういった。

それを、みせてもいい。

それが、みたいか? 

誰かなんか言ってほしい。

体中がいたい。寝てるだけで体力が消耗する。少し、ゆっくりしゃべらせてほしい…。

実際、呼吸があがってる。しせいがたもてない。…。

 …逆もしかりだが、一か所がゆがむのはなぜか、全体がゆがんでいるためである。

音個は以前にも、35にして勾留を受けていた。その間に覚えた一つの怒りについて、少し書きたい。

『 いまでもよく記憶しているのは、授業で絵画の時間が始まったときです。先生が、絵を描く道具を出して描きなさい、と言うのです。私は何も持っていません。私は瞬間に、わかりましたー母は学校で絵の時間があるのを知らない。絵を描くには、クレヨンやクレパスといった絵具が必要なことも知らない、と。

私は子供心に、母が私の、市か県か国かが支給してくれた学材費を生活費のほうに回してしまった、と気づいたのでした。「あっ、忘れたあ」、私は先生にそう言って席を立ち、画材を家から「取ってくる」と嘘をついて家へ戻ったのでした。

私は家で、しばらく母の帰りを待っていました。行商から帰ってきた母に「絵描くのに、クレパスいるんや」となじりました。母はうろたえました。百円でも二百円でも準備したでしょうが、クレパスが幾らなのかわからず、母は三十円くれました。私は文房具屋に走りました。

五色入りのクレヨンは、五十円でした。三十円しかありません。しかし、小さな学齢期の子供が、授業時間に学用品を買いに来ることから察したのか、文房具屋のオバさんは値段をまけてくれたのでした。学校への帰り道、私は誰に対してかわかりませんが、たとえようのない怒りに捕らえられていました。』

(中上健次)

これにやや…

…やや似たケース、

を、彼は、社会のなか、というより、

そこを追放された、牢屋の中で痛感する。

必要、というよりも、甘えで。

クレヨン、を甘いものにたとえるといい。

勾留をうける数日前から、薬しか飲んでいなかった;;。、”かく”ことは、マスターベーションいがい、殺気を帯びてだんだん凶暴になっていた。

毎日、毎日、死ぬはあたりまえ、いざとなったらぶっ殺す覚悟を決めていた。真剣な顔で。

あの顔面にしては割とイケてた。こんなにも神経を尖らせていた…以下。

(今、誰か、玄関の扉に来なかったか、殺気にみちて目が覚める。いたみで、目を覚ましてることが困難だ。脳内麻薬、それだと思う。次、おれの目の前に現れてみろ。宣告のとおりだ)

(それよりも部屋を引き払わなくてはいけない。片づけなければいけない)

『 勾留を受ける数日前に、わたくしは、不動産屋の担当の方に5000円を借りておりました。食費です。しかし、捕まる当日、ポケットの中に、管理不足です。なくしてしまっていたのでいた。そこで、安易ながら、つかまったのですが、わたくしはその借りたお金が心配で仕方なく、会いに来た母親に、なんとか、返すのでとりあえず、Kさんに5000円返しておいてほしい、と頼み込みました。数日、正直わたくしは腹が減っておりました。

「貧困による」といいわたされて、いれられた牢屋の中には鉄格子、それ以外何もなく、読みたい本もなく、眠れず、途方に暮れておりました。何もすることがなく、心配するだけです。おれはどうなるのか、よくわからんが自業自得だ。

甘いものが食べたい、ひそかにそう思っておりました。購買がある、それは知っておりましたが、カネを持っていない。

ある夜、差し入れがあったというので、用紙を二枚ほど渡され、サインを求められました。拇印がいる、早くしろ、と確かにこのようにいわれました。わたくしは、「だれが?」とそれだけをききましたが、看守は「そんなこと、あとで見ればわかる、早くしろ」というのです。正直むかつきましたが、言われた通りにし、あとで、差し出し人の名前を確認したところ、そこにはKさんの名前が書き込まれてありました。 借りたその五千円です。わたくしはありがたい、と思う以前に、はるかに誰に対してなのかわからない怒りに駆られておりました。;;』

 勾留を二か月近く終え、出てきたころ、血便が出ており、しまいには、血以外でてきませんでした。すぐ、病院に行きましたところ、腎臓にポリープができておりました。死ぬ寸前でございました。;;

右膝の複雑骨折。二度に渡る手術。たぶん、これのリハビリが先だ。そう思う。

 音個はた悲しいやつだった。どんな悲惨な状況を見渡しても、まず、駄洒落をゆってしまう、そんなやつだった。

駄洒落から、人生を始めてしまう、そんな、かなしいやつだった。そもそも、その名前を解説するに、

「やまさきまさゆき」

だ。この名前から、ヤギョウを、抜いて見るに一目瞭然だ。それは、

アントナン・アルトー以上にごろあわせだ。

「何を持ってしてもそれを埋めることはできなかった。いつしかわたくしの後頭部に生じた名前のない、一個の空虚の穴」アントナン・アルトー。

 警察の保護からの帰り道、なにもかもがつらかった。道行く通勤中の方々に頭を下げ、心中で「失礼します」と言ってから、目を伏せた。

往来で、土下座がしたかった。実際に隣室の方にお詫びを上げに行ったところ、出てはくれなかったので、土下座をしてから、部屋に入って何かを書き出した。ラスコーリニコフのように、ひざまづきたかった。

しかし、それでも、一つだけでも、勝ち取らねばならない何かがあった。どうするのかは知らなかった。知らない。それでも、とにかく書くことだ。そう思った。

PCに至っては、三台破壊されてしまっていた。あるアドバイスによると、PCクラッキングの犯人は「隠れファン的愉快犯」だと、いちいち透かした韻を踏まえつつ、ご説教くださった方もおられたが、即座に思った。そんな遠まわしせんと、話聞いてくださいよ、と。

 普段、けんか腰であった理由。自分自身を鼓舞するためだ。

普段、ほぼ気力がなかったため、だ。

それも血まみれで。

「不愉快、であった場合、やめればいい」警察からはそう教わった。

「では、自分のタイムラインでかく場合、多少何を書いてもいいんだな、基地外のたわごとだ」そう思った。間違ってる、そう思う。しかし、不愉快だからこそやめられない、というものもある。

 とはいえ、ひたすら引きこもった十年間があり、極度に社会のことが、わからなくなっていた。人にたずねながら、これはかいてもいいんですか、そうたずねた。が、いちいち、人がいるとは限らない。

だいたいわれたことが、「別に何を書いてもいい、お前が書いたところで基地外のたわごとだ」そうかえってきた。

そこで、「これはすべて創作である」そう言って、武装した。

ところが何も書いてもいい、どころではなく、何を書いてもうるさがれた。実際にPC(パトカーではなく)は破壊されていた。傷だらけ。無様であった。

そしてまさしく、時に判断は狂った。

知らない人のことはわからない。自分自身にいいきかせていた。投影した人はいないか。

たぶんにそこは、あおったやつがいたわけだ。言いにくいが、次に姿をあらわしたときはせんこくのとおりだ。

だから、絶対にくるな。………(ここで、ノートがちぎられていて残っていない)

 幼少期の話。音個が冗談交じりに書いた、生い立ちの引用だ。

「Where Were You」(2006年06月14日)

1978年、料理人の父、次郎とその妻幸子の次男として、この世にデビュー。両親がのちに語る話には、病院で生まれてくる際、

泣き声一つたてなかった

という。

しかし、生まれてきたは良いものの共働きの両親は忙しく、寛容な祖母のもと、自由放任主義で育てられることになった。

わずか二歳の時、哺乳ビンをくわえたまま、二階の部屋で遊んでいたところ、階段から転げ落ち、割れた哺乳ビンの欠けらが頭に突き刺さり、早くも命の危機! この時にした神秘体験により、あの世とも、どことも解らぬ変な境地をかいま視て

開眼。

この頃から時間の無限性について、命の意味について考えるようになったという…。

祖母の甘やかしと両親の全くの放任主義は彼をおとなしい子供にさせなかった。四歳の頃から

その本性が顕になり

近隣の田畑を荒らし回っては作物を

壊滅

させ、地主に謝りに行かされる、というイタズラ、というには余りにもタチの悪いことを繰り返すようになっていた(後に語ってる。おれの小さいころは田んぼと畑ばっかりで広々として面白かったなあ、と)。

幼稚園内では全くの無敵。まわりのガキどもに自分のことを

「弁慶」と呼ばせ

悦に浸る、という実にくそ生意気な子供(というには余りにも邪悪な存在)であったうえ、いじめられっ子の弟に喧嘩のやり方、というか

やり口

を教え、自信をつけた弟がさらにいじめられるのを

笑いながら黙って観ている

という陰険な遊びを覚えるほどの嫌なガキに成ったようだ。

 小学校に上がって国語を覚えるや否や、さっそく読書に手を出す。当時の担当教師はのちに語る…。それはあたかも、食べてはいけないとされる知恵の林檎をかじるエデンの園のアダムのようであった、と…。そして、当時最も感銘を受けたのが、タイトルは忘れたようだが、織田信長の伝記小説であり、彼はそこから

世の中を支配するためには

革命的な発想力の奇抜さが必要であると悟ったんだそうな…。さらに真面目に教師の話を聴かない、自分で考えるという、小学生の分際で非常に大人をナメた態度をもそこから会得したものらしい。

学校には授業を冷やかしに行くもの

と思っていた。が、彼のこうした態度は逆に教師達の目を引いたらしい、「将来絶対に大人物になる」と太鼓判を押され続け、五年生の時にタバコを吸いながら家で書いた宿題の詩を「紛れもなく天才」とうたわれ、常にクラスの人気者であり、年長の悪ガキにいじめらる友達を助ける

強気をくじく空手少年(当時)

でもあり、のちに彼自身のクビを絞めるハメのもとになる、とにかく何をやっても許される、という万能感はこの時に植え付けられたものらしい。この性格は

一生治せなかったという。

そして当時の彼をよく知っている幼なじみは口をそろえて言う…。「マスターベーションを覚える(マスターする)のは周囲の誰よりも早かった! そして、速かった!」と…。さらに、長ずるに及んで、音個は、スターベーションを若干10歳になるやいなや、間違いなくマスターした、といってはばからず「ベーションマスターの称号を得た!」というダジャレを好んで使っていた。

どこまでも、はずかしいやつ、だ。

関わらないに越したことはない。

………

混沌コントロール・山﨑雅之

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混沌コントロール

1978年兵庫県尼崎市生まれ。作曲家、著作者、愚か者。冒険家。政治活動結社「医療大麻開放党」「東京公司大麻党連邦捜査局」(元「大麻自由党」)代表。IQ65 。前科3犯。  生まれ持ってのADHD患者であることが、誤診16年を経て判明したが、挙句、様々な薬物中毒に陥る。現在の日本の、特に精神医療に対して激しい怒りを持っている。これからも、持ち続ける。  と、思っていたが、2019年1月8日、捜査、及び、化学(科学)的根拠、令状文、また本人の自覚にかなり疑わしき部分が残る事情をもって「覚せい剤取締法違反」に問われ逮捕される。  およそ5ヶ月の勾留を経て、服薬量が大幅に回復(およそ十分の一の量にまでに減薬)。それでも、現在も、こりずに薬物問題に向き合っている。  その他、前科前歴多数。その殆どが間抜けな不注意によるもの。  バンド(地獄の一丁目)活動を経てバンド仲間から絶交される(実質見捨てられる形)にいたり、現在、アーティスト名を「混沌コントロール」と名乗り、「まったくライヴ活動をせずインターネット上だけで(つまりこの部屋から一歩も出ず…)世界を制覇してみせる」と断言。  2014年、本邦において初の動きとして創立に及ぶ政治活動結社「大麻自由党」が中国華僑新聞等のメディアにて世界的に着目を浴びたが、日本においてはその性質上メディアが全く動けず無視され続けるが、今後の展開が期待を孕む。(Wikipedia参照)(のちに削除)  さらに2014年、CNNにて、その演奏姿が全世界に放映されるに至り、ひとまずは、宣言通りの野望、その入り口にたどり着く。これから更に精進いたします。http://www.youtube.com/watch?v=1ExUt6i0boM&list=UUedHp6KcvCTPn-vEkXm8GwQ 混沌コントロール公式サイト(CTRL Global Label) http://konton-control.com/ 混沌コントロールサウンドクラウド https://soundcloud.com/konton-control https://soundcloud.com/konton-ctrl 混沌コントロールYoutubeチャンネル http://www.youtube.com/user/kontoncontrol 「この部屋から一歩も出ず、世界制覇」などと書いてはいたが、2013年5月頃、孤独死寸前の状況下において、拘留を受けたため、家賃が払えず、結局、部屋を追い出される。およそ、このあたりがその人生の第一部、完。  ミュージシャンとしての夢は、ゴールドディスクをいつか手にしてみせる!ということであるが、こないだ、すっかり更新忘れてて、 ゴールド免許さえ取得できなくなった のが、実際のところ。  2019年6月現在、フリーランス、在野において作曲、アレンジ、サウンドクリエーターの仕事を請け負っている。  さらに!現在、自伝をもとにした大長編作文小説執筆中。つづきは出版本で!詳しくは出版本で!!

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