逃げる新潟(第一章)

 尼崎から、初めて、新潟に夜行バスできた理由は二つあった。一つは嫁の実家に挨拶しに来て、そのまま、嫁が故郷のほうが安心するからそのまま住もう、ということ。もう一つは、関わりのあったチンピラどもを見限って相手にしたくなく、尼崎における警察沙汰がほとほとめんどくさくなった、というものであった。
 十一月はじめ、もう既に寒い冬の訪れ、どころか、これではまるで、真冬だと思った。わたくしは夜行バスの中で睡眠薬をのんで、それでも、全く眠れずに、揺られて新潟に来た。尼崎で、わたくしは、実際の正しい診断をくだされるまでは「非定型精神病」という、精神科医三名による誤診を十六年間受け続け、大量の投薬によって、ほぼ、いや、完全に薬物中毒癖に陥っていた。周囲の友人たちから、完全に相手にされなくなっていた。つるむ、といえば、その、チンピラどもだけだった。それでも、特に憂鬱ではなく、むしろ、陽気に過ごしていたが、軽蔑していた。だらだらと、交遊が続いていた。警察沙汰は、しょっちゅうのことだった。そのチンピラ連中の中には、いわゆるホモもいた。いや、ホモ、というと、なんかその響きが笑ってしまうので、ゲイ、にしておこう。そいつは、ゲイ、だった。とてもとっても、ゲイだった。それだけなら、なんの偏見もないが、困ったことに、なんと、なんの取り柄もないわたくしに、惚れていたようだ。 …。やめてくれ。勘弁してくれ。
 わたくしのことについて、多少ふれておくと、尼崎では、誤診、つまり、実際は生まれついてのADHDであることが診断されず、三十歳までは、アルバイトや、一時期は建築商社の正社員として、働いていた。どこも、続かずに、仕事を転々としていた。それはしかし、症状だけが理由ではない。
 ひたすら、十七の時からエレクトリック・ギターを弾いていた。作曲は幼少の頃から出来た。だから、創作がしたかったのだ。当然、障害による症状が発覚するまでは、性格破綻と周囲からはいわれみなされ、数年続けたバンドも、メンバーからの絶交によって解散した。それが、無性に悔しく、わたくしは、絶対なんとしてでも、傍目には執着に見えたであろうほど、音楽にしがみついた。創作を続け、病気を悪化させた。しかし、その体調の悪さを唯一、食い止める手段が創作であった。
そして、いまわしい時代、二十代後半において、まったくわたくしの体は動かず、実家に住んでいたが、家族と口をきくことも、ほぼなかった。沈黙の数年が続き、しまいに生活保護を受ける羽目となった。そこから、次第に体調は回復し、インターネットを覚え、ひたすら自分の曲をアップロードし続けて、次第に、曲の理解者が現れだした。生まれつきとしては、お調子者といっていいほど、楽観的な性格なので、益々調子づいて、アップロードの頻度はましていき、三百曲以上作り、すべてを、アップロードしていった。
 それから、しばらくそれをひたすら続けて、なんとも、光栄なことに、アメリカの友人、CNNのキャスターがわたくしの演奏姿を、全世界に向けて放映してくれた。嬉しかった。(なんでしたら、URLも載せましょか?)
 そして、現在の嫁と出会った。最初にいったように、嫁は新潟出身である。
 新潟から、尼崎まで、新幹線で会いに来たが、その顛末については、今はおいておこう。
 
 昔、「さんざん極まりない状況」において、そこからは生活保護を受け、次第に体調は回復していった、とはいったもの、その生活は周囲の人間から見れば、さらに「凄惨極まりない」ものだった、と、幾人かの友人、知人、インターネットで出会う友人はみんな口をそろえて、いっている。全く自覚はなかったが、そんな生活をしていた。かたづけができない。とういうよりも。部屋や身辺にまったく興味がない。服装は着の身着のまま、風呂に一週間くらいはいらないことは当たり前で、部屋の床中に、飲んだ薬のシートが散乱し、足場はなく、掃除などしたことはなかった。一度、警察に後に書くある事情で保護されたとき、現場検証のためにわたくしの部屋に踏み込んだ警官二名がつぶやいた。「これはひどい…。」
 さらには、陰湿で、虚言癖のある、さきほどのべた、ゲイ、に付きまとわれており、その事実をあとになって知ったわたくしは、そのゲイを友人とみなしていた。こいつがまた厄介だった。
 わたくしに対して接するとき、その男? 一応、男の年齢五十てまえの、俗に言うおっさんだ、そのおっさんはわたくしにたいするときは、極めて親切、いや、粘着的な態度を示していた。「いい人やな」と、安易にひとを信用しやすいわたくしは、そう思い続けていた。しかし、それがケツの穴、ああ、いや、落とし穴であった。不覚であった。…。
 新潟、というと、わたくしにとっては、坂口安吾である。田中角栄など、問題ではない。図書館で、坂口安吾の著作を懐かしく読んだ。読んだことのなかった図書も多くあり、嬉しく読んだ。資料館にも、足を運んだ。係員の女性が、安吾と似たようなメガネを掛けていたので、思わず、「それは、安吾さんを意識してるんですか?」などと、たずねてみたが、女性は笑って、「頭の中身が違いますから」と照れながらうつむいて笑って、わたくしの方でも、面白かった。わたくしも まだ二十代の頃、決して、安吾の真似をしていたわけではないが、バルビツール酸や覚醒剤に中毒していた時期もある。そういう日々を振り返り、苦いような、懐かしいような気持である。
 
 初めて、新潟の地に降り立ったとき、嫁が車でむかえにきた。それまでは、わたくしたちは兵庫県尼崎市で一緒に住んでいた。というのも、わたくしは尼崎で生活保護を受けていたが、嫁の方はといえば、どうにも、関西、それも尼崎の喧騒に溶け込めず、肌が会わず、ストレスを感じて、一旦、帰って、新潟で仕事を見つけ、やり始め、家庭教師の職に就いていた。わたくしの脳障害が重度であり、また、間違った治療を医師がひたすら押し続け、わたくしはわたくしで「根性で治す」と意気込んでいたり、また、密かにその、精神科医たちの出す薬の副作用で、酩酊することを覚えて、そうなれば当然乱用に至るが、ともかくも、毎日、襲われる焦燥感と(集中欠如)治そうとしながらもいわば、めちゃくちゃで、お話にならず、そんな治療を続けてきたのだった。そして挙句、その挙句、出た、ただしい、重ねていうが、ただしい診断が、ADHDであり、「これは生まれつきの障害なので一生治らない」という答えだった(通院費から、診察代まで全て返してくれないと困るんだが!)。 
 生活保護に頼らざるをえない。極めつけなことには、ADHDといえば、ついこの間、遺伝子レベルの障害である、というのが九州のどこぞの大学で突き止められたばかりだ。だから、三十六歳で正しい診断が、理解が、いや、その兆候がやっと得られるにいたるまで、まったくわたくしは適切な治療を行えてはいなかったので、周囲からみれば「もはや、山﨑は、すでに……手遅れ」。ということだ。…ややこのあたりの事情に関しては、実際に殺意を覚えるに至るほど憎悪していることでもあり、やや熱がこもってしまったが、実際、そんな事はどうでもよろしい。自己紹介がてら書いたまでだ。
 知能テストなるものも、うけた。所謂IQテストである。成人の平均が百、に対して、「精神科医」及び、「出口なきわたくしの悪あがき」によって、さんざん、頭脳やら知能やら、全身骨折やら、自己破産やら、強制執行やら、はては投獄に至るまでのことやらを繰り返し、ありとあらゆる己を、破壊し尽くして生きてきた、という、ただ、それだけの、歪んだナルシシズムによって、知能検査のIQ65(軽度知的障害)という結果は、流石に、その事実を、告げられたときは、ショックを受けたが、一時たてば、「ん? いやいや、もし、健常者、と言われる連中の中に、混じってその、明らかに、劣った知能だが頭脳だかIQだかなんだか知らんが、それだけの頭で、ここまで生き抜いてきた、というのは、はっきり言って、天才的、いや、「超人」のなせる技ではないか」、という確信に至る。それにそもそも、いま現代の日本社会人で、どれほどの人間が、「その百もある知能数値」を活用して、いきているのだろうか、とも冗談抜きで思ってしまった次第だ。はっきり言って、そんなもの、いらない社会構造になってはいないか?
 一部の専門家を除いて、別に、「自分で考える」必要のある社会の構造をなしているだろうか。と、そんな気もしている。あえていうが、多少なりとも、わたくしの考え、意見に、みるべきものがあるとしたら、それはこそまさしく、「悪い頭で真剣に考える」ためだと、思っている。それに、わたくしは、決して、「頭」だけでは、考えたり、感じ取ったりはしない、作ったりはしない。強いて言えば、全身全霊を以って考え、物事を、受け止め、やれるだけのことをやるだけだ。その努力の中にこそ、結果以上に幸福のありかを知っているものだ、…と、ちょっと、なんか、かっこよく、語ってしまっている。…。実をいうと、申し訳ないが、これを書いている今現在も酔っ払っているからだ。
ああ、ええ…、わたくし、ナルシストですから!
 ところで、関西生まれ関西育ちのわたくしにとっては、新潟の冬、そして、去年の冬はあまりにも寒かった。少なくとも、尼崎において雪が降る、などということは、数年に一度あるかないか、というほどのことで、それは、表現を大げさにした、さらには目立ちたいわたくしが例えるなら、尼崎の場合「雪が降る」のではなく、「雪が降臨」する、くらいの奇跡的現象なのである。ここ、新潟のように、「膝のうえまで雪が積もる」なんてことは、ない。ところが、来たばかりのわたくしに対してなど、当たり前だが、当然、天が情け容赦する気などまるっきりなく、その冬中、雪と、冷たい雨をいらぬおせっかいのごとく提供していた。が、嫁にとっては、冬はこうでなくては、寂しい、辛いのだという。だから、わたくしが寒さくらい我慢すればいいだけ、と安易に考えていた、が、舐めておりました。馬鹿でありました。はっきりいって、寒くて、動けない! 疲れだした。次第に肉体の不調が精神を弱くしていった。
 はじめに書き忘れたが、わたくしは自身の障害や、現代医療、…特に精神医療に対しての懐疑、その例の「誤診十六年」をやらかしておいて、まったく謝罪の言葉すらない医者どもへの反撃、また、どのように考えても、おかしいとしかおもえない「大麻取締法」の規制見直しのための政治結社をつくり、そこの代表として、せめて、末期がんですら治癒の可能性をもった大麻を、医療で認めてくれないか、という主張のもと日々、インターネットで同じ意見のひとびとを募り、政治運動を展開しているものでもある。その政治結社の名を「医療大麻開放党」という(設立当初、大麻自由党。これは憲法で保証された幸福追求権をうけてのネーミングであったが、それでは、余りに、危機感がない、ので、不本意ながら、医療、という名目大義で展開することとした)。逮捕歴も、当然ある。その時、実は警察も大麻ごときで動きたくない、といっていた。
 衰弱した肉体、環境になれるまでに時間のかかる生まれつき、想像もつかなかった寒さ、気を使ったはずの嫁の実家との確執、などなど、それらすべてがともかく不愉快で、そしてそれを嫁に当たり散らすわたくしはもっと、不愉快だった。ストレスでアレルギー症状がひどくなっていった。体中に蕁麻疹ができた。このままでは、また暴れて精神病棟に入れられるのが落ちだ(その以前に薬物による錯乱で一度、ストレスによるもので一度、計、二度医療保護入院、つまり、強制入院させられた経緯がある)、そう確実に思った。そしてそこに、例の女優、…同じく「医療大麻」を看板に挙げる新党改革だかなんだか知らないが、そこから出馬したTが、ものの見事に落選した後に、大麻所持で捕まった。捕まるのは、勝手にやってくれれば良い。思う壺だ。もっと世間に「医療大麻」というミームを広げられるツールであり、プールだ。だが、女優はそのあまりにもスキャンダルな私生活はおいておくとしても、主張を貫かなかった。そして、思うに病気でも何でもない、単なる遊び女だっただけにも関わらず、「医療大麻で苦しむ患者を」などという偽善性を世間に晒し上げ、結果、世間は「結局は医療大麻なんて言っておいて、娯楽使用が目的に決まってる」というイメージを大にしたのだ。公判でも、その自分のやったことを、主義、主張を貫くことなく、刑罰にも課されることなく、勾留だけで逃れたのである。愛人とみられる男を犠牲にして。そんな生ぬるい態度を、普段なら笑ってバカにしてすんだだろうが、非常なストレス下にあったわたくしは、猛烈な怒りと反発心を、まるで、とり憑かれたかのように発揮してしまった。

混沌コントロール・山﨑雅之

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混沌コントロール

1978年兵庫県尼崎市生まれ。作曲家、著作者、愚か者。冒険家。政治活動結社「医療大麻開放党」「東京公司大麻党連邦捜査局」(元「大麻自由党」)代表。IQ65 。前科3犯。  生まれ持ってのADHD患者であることが、誤診16年を経て判明したが、挙句、様々な薬物中毒に陥る。現在の日本の、特に精神医療に対して激しい怒りを持っている。これからも、持ち続ける。  と、思っていたが、2019年1月8日、捜査、及び、化学(科学)的根拠、令状文、また本人の自覚にかなり疑わしき部分が残る事情をもって「覚せい剤取締法違反」に問われ逮捕される。  およそ5ヶ月の勾留を経て、服薬量が大幅に回復(およそ十分の一の量にまでに減薬)。それでも、現在も、こりずに薬物問題に向き合っている。  その他、前科前歴多数。その殆どが間抜けな不注意によるもの。  バンド(地獄の一丁目)活動を経てバンド仲間から絶交される(実質見捨てられる形)にいたり、現在、アーティスト名を「混沌コントロール」と名乗り、「まったくライヴ活動をせずインターネット上だけで(つまりこの部屋から一歩も出ず…)世界を制覇してみせる」と断言。  2014年、本邦において初の動きとして創立に及ぶ政治活動結社「大麻自由党」が中国華僑新聞等のメディアにて世界的に着目を浴びたが、日本においてはその性質上メディアが全く動けず無視され続けるが、今後の展開が期待を孕む。(Wikipedia参照)(のちに削除)  さらに2014年、CNNにて、その演奏姿が全世界に放映されるに至り、ひとまずは、宣言通りの野望、その入り口にたどり着く。これから更に精進いたします。http://www.youtube.com/watch?v=1ExUt6i0boM&list=UUedHp6KcvCTPn-vEkXm8GwQ 混沌コントロール公式サイト(CTRL Global Label) http://konton-control.com/ 混沌コントロールサウンドクラウド https://soundcloud.com/konton-control https://soundcloud.com/konton-ctrl 混沌コントロールYoutubeチャンネル http://www.youtube.com/user/kontoncontrol 「この部屋から一歩も出ず、世界制覇」などと書いてはいたが、2013年5月頃、孤独死寸前の状況下において、拘留を受けたため、家賃が払えず、結局、部屋を追い出される。およそ、このあたりがその人生の第一部、完。  ミュージシャンとしての夢は、ゴールドディスクをいつか手にしてみせる!ということであるが、こないだ、すっかり更新忘れてて、 ゴールド免許さえ取得できなくなった のが、実際のところ。  2019年6月現在、フリーランス、在野において作曲、アレンジ、サウンドクリエーターの仕事を請け負っている。  さらに!現在、自伝をもとにした大長編作文小説執筆中。つづきは出版本で!詳しくは出版本で!!

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