音個の速度 第二部「誤診十六年」

音個は、実にタイミングの悪いときに、まさに「焦って生まれてきた」ようなやつで、(出産予定日になるや否や1時間前後に子宮を飛び出してきた)その点は時代が悪かったというしかないので、僕もこれだけけなしても、まだまだいい足りていないような気がするわけだが、本当に、ADHDというおそらく昔からずっと虐げられてきたであろう、この障害に終止符を打つかのように、ちょっと、障害を大げさに演じていたような部分もあるんではないか、おもえるほど、また、そこまで時代的にその障害が騒がれてもいなく、問題にもなっていなかったが、いや、おそらく、掘り返せばいくらでも問題は出てくるのだが、それは、人間に受け止めきれるものではない、と言って過言ではないと思うので、問題としてもあげにくいその障害を道連れにするかのごとくに挑んでいたような部分もそれは、認めざるをえない。
ただし、認めてもいいが、ただし、それが、誰の利益にもならないのが、ざまあみろといいたいようなところなんだが!
例えば、音個が身体の不調とまるで性格が入れ替わりでもしたかのような自信の喪失を苦痛に思い、はっきり自覚しだしたのを機に初めにかかった、これが精神医学という未だまるで何も治療法の定まっておらずにそれでもはじまってしまったビジネスというのが、どれだけ悪趣味であるか、というのを、世にアピールできたのは、いいことだと良心的に捉えてもいいとして、それは、おそらく、人間というものが、常に争いを続けてきた歴史からして、まるで意味のない、行為だと、いわざるを得ない。以上序文である。では早速始めよう。
あの、猪名寺のこくらクリニックだけはやめとけ、いうたら、業務妨害なるんかな。まあ、なったとしても、これ以上、被害者を増やそうと思わないというか絶対に思えないため、むしろそれどころか、おれからの警告、でいい、警告として、あそこは、やめといたほうがいいと思いますよ。いや、わかりますやん。こっちも話しにいったんですやん。「お前がまずまっ先に、おれの生まれつきの発達障害に御大層な病名つけて指示に従ってさえいれば治るかのようにいうから、まあ、お前が云わずとも、世間がそういう風潮になってたわけだが、当時の後進国日本では、悲しいかな、後進国だ、この分野では。しかし、後進国といったってカネだけは大分かけてるわな!? その「医療大国」の「先生」や、あんた。
ともかく信じて、時間も費やして、その時間をとるためにこなせたであろうはずの任務まで、そっちのけにして、手を変え品を変え、まさしく、一通りの向精神薬を5年くらいか? 数年間、まあ、後半は半分もう信じてなかったため、余りいうとおりに薬は飲まなかったが、数年間も、とりかえしがつかないほどに中毒するまで、まさしく品をコロコロ変えて処方していただきましたわ。たしかにはい。処方しときますから、飲んどいてくださいね、これで「はい、いいですよ~」と、いつも診察を終えて診察室の扉を出るとき、「一体何がいいのかさっぱりわからない」といいたい気持ち、邪念に駆られそうになるところを、なんとか、自らを欺きつつ、おれはやりすごした! たしかに、いいですよ、と、こういうとったな! で結果はどうや。それは、おれも、「切られたミミズは鋤を咎めぬ」というはるか海を隔てたはるか昔の詩人の言葉を借りてきてでも、なぐさめあわせるとして、まあええねん。
確かに、医者を利用するべきだ、という、処世術はおそわった気がしてるから、それとひきかえでええねん。そこまで女々しないねん、流石に。おれも安易じゃなかったか、といまでは、今となってやっと、そう思えるわな!?
それに医者というても、ミスすることもあるに決まってることは、そんなことはあたりまえで、あんたに自分の身体を任せっきりに委ねたおれがわるかった、といえば、そうもいいえるし、そこまではいい。みんな人間や、そんな、常に正しい人なんかいてるわけない、それはおれが、毎日、いや、毎アクション都度に失敗するおれがよく知ってる。そこまではいい。
でもやっぱり、どうしても具合が悪いから、最終的には点滴にまで頼ってた、という、なんとも、絵的にカッコのよろしい、もうまるで接待といいえるほどご丁寧な治療を授けてくださって、でも、ちょっと、言い難い話、その数年がかり
の
「丁寧で”易しい”治療」
に対しておれという恩知らずになるかなあ!? ほんと仇で返すようで実に申し訳ないんだが、絶対にやめといたほうがいい、と、そういわなくてはいけない、これは義務である、とすら、思っているんですよ。常に人様の命にかかわるようなプレッシャーに耐えて、さらにまた忙しいにちがいない、と気にして、一分診療で「前回とさほど変わりありませんし…」と遠慮してたような患者です、わたくし、はっきりいって! でもそれは、他にもっと、しんどい、特に高齢の患者さんもおられる中、なるべくは、まだ若くて元気に頑張れるはずの立場としては無駄な時間は取らせたくない、と考慮したからや。あたりまえや!
そこまで「先生」といわれてる年長者には礼節を持って…持ちすぎたわけだが! そんな配慮もしながら、恐れ多くも「先生」と世間からいわれている大人物の機嫌を濁すような、気分を損ねるような失礼があってはいけないと、わたくしは、おもっていたのだよ、あんた、わかるか、あんた、それをあんた、おい、あんた、なにいうたか!? まるっきり、はじめっから、おれの障害にすら気が付かずに朝からなんとか夕方からの労働までには体調をととのえておこう、とそんなことばかり考えていっときも休んだ気がしないのを気合いと根性で無理しすぎた頑張りすぎた、それを、揚げ足まで取りやがってお前、おら、ちょっと、おまえ、このままで…(続く、というより、いつか法廷で会おう)