あたまが悪くて悪かったな

ADHD、とやらに生まれついた。そのことを書く。思いつくままに書く。
確実を期するため、初診でADHDはほぼ確定していたのだが小学生の通知表を提出。うまれもってのADHDであること、そして、幼少期からきちんとした治療というか、社会的な対応がなされなかったために、それがこじれにこじれ、重度の注意欠如で反社会的行動を伴うものという診断が確実となる。
ADHD、これは集中困難、注意力の欠如を特徴とし、焦燥感が主な症状である生まれつきの脳障害だ(おまけに軽度知的障害まできちんとした治療を行わなかったどころか、間違った治療を続けたため、二次障害として加わる。そのIQテストによれば、65、という数値が弾き出されている。しかし、違う日にどーせ頭悪いしどーでもいーや、と思いつつ、処方薬でしこたまラリった挙げ句受けた知能検査に於いてなんと、IQ77,に上がっていたことも、事実だ! つまり12上がっていた!12!!そう!これは音階でいうと、一オクターブに相当する! 一オクターブの表現力、これは、無限大である!…)。
まあ、わたくしは頭脳で考えなどしない。全身全霊で考える。山﨑雅之というOSを用いて。…などと、かっこよく言い放ってみても、やはりこの結果をもらい、ショックであった。 が! その数秒後、おれは逆転の発想を得た。まさか、もしかして、この小学六年生相当といわれる知能でいわゆる健常者社会を、全身傷にまみれつつ、時に拘留を受け、時に強制入院させられながらも、生き延びてきた、という、そのことはまさに「奇跡」いや、超人のなせる技ではないのか、と!
そんな社会的には障害者とされてあるわたくしですが、実際は別に障害者であることを苦には思わないんですね。確かに、症状は辛い。時に全く動けないどころか、倒れることすらある。
が、そのほかの、「障害者というラベル」に関しては、全く、なんともおもっていない、どころか、これは、使えるもの、だと思っている。社会的、または、人道的に障害を有効利用するからだ。差別でいうと、二重差別的な感じだと思うんですが、たとえば、障害を患っていない方だといえないセリフ、タブー、暗黙の了解を経た禁句、などを
「自身が障害者なのだから、障害者の意見をいってるだけだ」、ということができるうえ、他人から、いじめられた暁には
「障害者をいじめている」
という、その相手を最低の社会的評判に貶めることができたりして、だいぶん、
障害を満喫
しておりますね。
といっても「満喫する」、くらいでないとのりきれないんですが…。その症状が。
ADHDの集中困難に基づく「遂行困難」といわれる症状であるが、健常者にもそれはある。
が、これが、障害レベル(日常生活に支障を及ぼすレベル)であるか否かが、社会適応における実際の判断基準となるため、知能指数、といってよいかどうか実際にはわからないIQテストなどで低い基準を示すことはあたりまえだ。話を聞く集中力すら時にないためだ。
先達のADHDというと、アインシュタイン、ニュートン、エジソン、そして、山﨑雅之介(混沌コントロール)。これがADHD四天王(春夏秋冬、東西南北も捨てがたい)である。
この四人がつるんだとしましょうか、…どうなりますか。…地球くらい軽くふっとばせる。と、毎度、大きく出ております。が、実はこれ、つまり僕が公の面前で大きな口を叩くのは、できそうもないことをちゃんと最後までやるために、「口だけ達者な奴」と、なるべく周囲に言われないように「大きくでたこと」を自分自身でしょっちゅう思い返して「いうてもうたな」「言うてしもたからには意志を持って、結果はともかく、一生懸命にやる」ための、パフォーマンスも兼ねた、生きるための知恵なんですよ。
ああ、虚しい。この辺にしておきます。
混沌コントロール・山﨑雅之介