音個の速度 一瞬の連続の一生(Web連載版)第一回

音個の速度(一瞬の連続の一生)

 今から一つ、小説を書く。ついに僕が、話を書く。いうなればこれが処女作だ。となれば、まず僕なら、まよわず、ある悲惨なおとこのことを書く。舞台は、残念なことに、困ったことに現代日本! 音楽を愛し、自ら作曲、録音をやり、そのCDを売っていた。売るというよりかは、ほとんど配っていた。音楽を愛する人間の中の一人、「音個」を自負していた(このネーミングセンスからしても既に、お分かりになるように、このハナシはのっけから滑っているのだが、だからといってやめるわけにもいかないのだよ)。

「わたくしは音のなかのひとつにすぎない」とか「わたくしは音の大海を前にして、浜辺で遊んでいるこどもにすぎない」だのと、大麻の煙をくゆらせつつ目を細めているに違いない彼。

覚悟はいいか? この物語を前にして、純粋に、曇りのない目で、またかつ、生ぬるいぬくもりもない冷徹なこころで、はっきりと理解するためには知性よりも、ほかの何よりも、勇気を、必要とする。あなたにこのページを開いていく勇気がはたしてあるだろうか? …残念ながら僕にはない。このハナシ、イキナリ難航、そして完。というのは冗談だ。

 1978年、南極大陸ドーム富士内生まれ、おとこは氷河にのってやってきた。生まれ落ちる際、泣き声一つ、たてなかったという…。わかりきった話だが、これもまたハッタリだ。…やっぱり難しいな。小説を書く、なんてことが僕にできるだろうか。潔く、やめておこうか?……

いったい、この正体不明の、非凡であるが、ところが!しかし必ずしもそれがゆえに!偉大、というのとではまたちょっと、

ニュアンスの響き

が異なる、というか、おかしいというか。えと、その魂をどこからどうやって語ればよいのか、僕には、はっきり定まらない。結局どうせわからないのだから適当でいい、適当で。ことばで書かれたあらゆるハナシは、所詮、ことばの本質を考え突き詰めれば嘘になるのだから。ことばを折り合わせて語るハナシにノンフィクションなど存在しない。いい? ここまでいい?

そして、実際のところ、音個は嘘ばかりついていた。適当で、いい加減な口ばかりきいていた。考えを一秒ごとに百八十度転換させていたといっても言い過ぎではない。そしてそれをヒラメキだと言い張っていた(あたかもそれが、まるで鏡に映し出されたその考えですらも、左右対称になるかのように、そんな表現を使っていた)。

…みたいだ。というのも僕が彼に直接にあったことは、今回の、このステージが初めてだ。その物騒な噂の数々から推測して、遠巻きに見ている、くらいが一番いいのだ、と確信している。僕がこの音個を知ってるのは彼が気まぐれに(音個の言葉では「ランダムで乱雑に」)つけていた、彼自身の日記帳「音個の生き様第一部」4冊と「獄中記」3冊(そして便箋150枚ほど)、とあと、詩集「音個たちのメロディ」を仕事柄、偶然にも入手したのと、―――また彼のインターネット上での奇妙な錯乱ぶりからうかがえる音個のプロフィール(横顔)だけである。実際にあったことなど、この今回、一回きり、これっきりだもう二度とないと、思う。

覚せい剤中毒であるとか精神病院強制入院だとか、自己破産だとか、大麻所持による前歴一時期はヤクザ組織とつるんで覚せい剤の売人までやっていたようだ。いちいちやることがめんどくさかったようだ。実際覚せい剤中毒の末期には自分自身にとどめをさそうと、普段の量の何倍かの量を注射し、間抜けにも死に損ねている。その後の錯乱については、「音個の生き様第一部」の「地獄の夜中」に詳しい。錯乱に陥った彼は「証拠を一切処分」する目的で部屋に転がってたペンチで分解した「注射器を飲み込む」という離れ業を演じている。

以下、音個が覚せい剤精神病のさなか震える指で書いた、詩篇。以下。「音個たちのメロディ」から。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
墓場を荒らして、おれは笑う
モザイク模様の廃墟が広がる
夜空がうずまく血を吐くなかで
星を食らう野鳥の飛翔を…
水しぶきのなか 北風を受けておれ達は笑っている

夜のしじまの商店街に達磨の死体が、六つ転がる……六つ、転がる…

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
逃れ去る…歴史と影の舞台から遠く離れ
沸き上がり照り返す海の向こうに追っていく
本当の夜明けを感じ紫の野を歩く月の光を食い、眠る白昼夢に促され

水曜の泥にまみれて疲労した額へと
限りなく星は注がれ誕生を繰り返す

悲鳴に満ちた火が踊る…暗い街を焼き焦がし…ひび割れる空を見上げ、夕立に立ち尽くす

正午の夢に毒され、老いていった友人達よ
幾千もの破片が飛びすさぶなかで
走りゆく風をみる…

物語を捨てて行く
時を置き去りにして
心臓が叫ぶ方角へ
どこまでも続く…

正午の夢に毒され、老いていった友人達よ幾千もの破片が飛びすさぶなかで…
架空の知性と力が幻想の音の過剰へと黄金の戦慄を轟かすなかで 謎を神秘を おれは見た

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 はいはい、詩人でございますね。家族にさんざん迷惑かけてまでとことんアートしてるんでございますね。相当めんどくさかったと思う。音個の家族。これだけでも充分、僕は思うのだけど、この音個、だいぶ、母親に感謝しなければならないと思うし、確かに実際、市内中の友人から絶交を食らってからの音個はおかんにばっか頼っていたようだ。

ええ、そう、彼、マザコンなんです。

そうして音個は、いつかこういった薬物中毒による破滅が訪れることを、とっくの昔まだ彼が二十だった頃の日記において彼自身、まさに予言している。「十年ないし十五年後、おまえ(音個には生まれつき離人感覚があった)はもはやボロボロだ。しかし今おれが考えるには値しない。その時のおれ(おまえ)が考えるべき問題だ、ざまあみろ」と。

 けしてこれだけではない。そのほかにもしょっちゅう、薬物の類で死にぞこなっていたりするのだが、それをあたかも、修羅場をくぐり抜けた勲章みたいに語ったりしていて、見るも無様だ。やや長くなるが、引用しよう。いや、間抜けなあまり、引用したい。

「間抜けな話第二回-そこに山があったから」

 もう十年近くまえの話になるが、マジックマッシュルームが規制され、科学用研究試薬といったかたちで、いわゆる「脱法ドラッグ」というナイスな言葉が、日本に定着し、アレクサンダー・シュルーギンがブイブイいわせてたころの話だ。 兵庫県S町。かれこれ10年前のおれたちはその町の山奥の広場にいた。三人であった。自殺してしまった友人Sと友人Aがいた。秋の中頃であった。しこたま、その研究試薬の類がカバンのなかにつめこまれていた。5meo‐DIPT、5meo‐DMT、2ct‐2、2ci、etc・・・ま、ざっと思い出せる限りでそういった幻覚剤があった。睡眠薬やリタリンはすてるほどあった。本来ならここに油田透がくわわって4人でトリップがはじまるはずであったのだが、もののみごとに奴はドタキャンした。

 我々はSが出してくれた車のなかで日が暮れるのを待っていた。夜の山の中でおもいッきり発狂しようと目論んでいたのだった。そして日が暮れると同時に、それは遂行された。幻覚症状の真っ只中、おれは現実の見境がつかなくなり、「広場で迷う」という生まれて初めての体験をした。ほかの二人は、とにかく訳が分からない、とだけ、しきりに言っていた。よく覚えていないが。

 そんな、まるで「一千一夜物語」みたいな夜をとにかく、通り抜け、つかれはてたAは車内でねてしまった。おれとSは朝のすがすがしい山の奥を散歩することにした。まだハイな状態、にあったのだ。とはいえ二人とも疲れ果てていた。しかし朝の山に漂うマイナスイオンはとてもきもちのよいものだった。雑草をふみしだきながら、沈黙の二人は山の奥へと分け入っていった。だが決定的なことに、おれとSとでは、体力というか、コンディションというか、ハイなテンションにひらきがあったようで、Sは「まーぼー(わたくし)おれ、寒いから車の中に戻るわ」といってひきかえしてしまった。「ああ、わかった。おれもうちょい散歩してるわ」とおれはいった。そこで、その先に見た、山中の雑草があきらかに人工的に栽培された麻であることを目撃したのだ! そう

季節は秋!

うまい具合に、バッズの部分だけが切り取られて持っていかれてる。おれはおもった。「なるほど。そういうからくりか!」もっと、山を深くいけばまだ刈り取られていない部分が見つかるかもしれない。だったらついでに頂上をめざしてみようやないか! 手のひら中、ポッケいっぱいの収穫を夢見ておれは頂上に向かって登って行った(やれやれ、なんと華麗な愛を夢見たことか!)。とりあえず帰りは来た道をくだっていけばよい、と、きわめて方向音痴なおれが何を血迷ったのか、そう思い込んでとにかく進んだ。まるっきりなにもでてこなかったが。

 しかし、わたくしはやるときめたらとことんやってしまわなければきがすまない、とりあえず目の前の問題を解決してすっきりしてからでないと気が済まない性分である。幼いころからそれはかわっていない。学生時代にはよくわからない問題をとばして先にわかるやつを解いて点数をかせぐという要領の良いことが思い浮かばず、それで赤点をとったものだ。

とにかくおれはわけのわからないままに奥へと、上へと進んでいった。頭は当然普通の状態にない。シラフでも普通じゃないのだが。自分ですでにまよってることすらわからないまでに、おれは夢見がちな進行を続けていた。パジャマで。 当然、携帯とかカネは車の中のカバンにおいてきたまんまだ。ふと、我に返った。余りにハードな道のりにさすがに疲れとのどの渇きを感じたのだ。帰ろう。

 山道をおりていきながら、「ん、こんなとこからきたわけない」、と認めざるを得ないことに気づき、自分がいま、山奥で迷ってることを自覚した。はっきりいって不覚であった。

つまり、遭難したのだ

パジャマで。

ポケットのなかには小銭、30円くらいがあるだけであった。さすがに思った。「やばないか、これ?」

 人けなんぞまったくない。そして気が付けば、太陽がもうすでに、真上にきている。正午である。一瞬立ち尽くして考えた。中途半端に下って迷うより、いったん、ある程度高台まで登って、帰るべき方向を確認したほうがいいな、と。急いで上に向かった。とにかく走った。何回もこけながら。そうしてきがつけばもう頂上についてしまっていた。だが、この頂上がここひとつではなく、あっちにもこっちにもあることが問題である。おれ、どっからきたんやろう?そう思った。しかも昨夜「迷った広場」なんかどこにも見当たらない。

「もうどこでもいいから下までおりてしまおう」

と、気持ちだけが焦っていった。自然と足場が悪いにもかかわらず、小走りになっていた。太陽はどんどん傾いていく。やけくそにならざるを得なかった。酩酊なんかとっくの昔に覚めていた。完璧にシラフだ。走った。やみくもに駆け抜けていった。前方は生い茂る雑草でまるで見えない。それでもさっさとおりてしまわねばならない。二人も心配してるにちがいない。もうこうなったら全速力や! 速度を下りが加速した。もう前なんか見えていようがいまいがしったこっちゃない。とにかくおりるだけ! 半泣きであった。いつまでたっても視界は開けてくれない。ふいに異変を感じて立ち止まった。このまま走り抜けたらやばい気がしたのだ。だからそっと歩いて、雑草を選り分けて前方を確認することにした。正解だった。雑草の先になにがあったか?…なかった。

何もなかった。しいていうなら、

崖があった。

そう、あのまま、全力でいけば、跡形もなく死んでいたのである。しかしこれで崖っぷちから山のふもとを睥睨できる、とおもったが、どれだけみわたしてもみえるのは緑だけ。とりあえず死ぬかもしれないという覚悟を決めた。そして再び全力でくだっていった。二時間くらい駆け抜けたころ、ついについに!まだかなり先だが民家がみえた。あとは体力がもつかどうかだ。この時ばかりは学生時代に散々サッカーで体をきたえていたことが役に立った。細見先生と鳴滝先生に感謝した。

 夕方4時すぎくらいだろうか、ついに下山に成功。おれはたっているのがやっとであった。しかしみんなのいるところがどこだかまるっきり見当がつかない。考えても仕方ない、と思い、あきらめました。ひとりで帰ることを決断した。しかしとりあえずのどが渇いて死にそうだ。腹もへってる。しかたがないから民家にこっそり侵入して庭に植えてあった柿を三つほど盗んで、皮ごとたべた。…まずかった。まずいというより味がしない。そしてとりたてて水分も含んでいない。余計に飢えと乾きを思い知らされたようなだけだ。まあ、たすかっただけいいか。しかし、目の前にあるのは延々と続く車道だけである。ひたすら続く一本道。

「勘弁してや」そうおもったが、

しかし!それがまぎれもない

現実

であった。

 どっちに行けばいいのだろうか。民家からは柿を盗んで急いで逃げたため、いまさらもどるのもめんどくさかった。こうなったら、勘しかない。…右や、なんとなく。運が悪けりゃ死ぬだけさ、と右折してひたすら小走りに歩いた。するともう一軒、なにか作業所のような家がみつかった。そして幸運にも人がいる!ふたりのおじさんが笑いながら話をしていた。

 「遭難した」という、その言葉! その言葉は、その頃の社会情勢また加えるにおれ自身の立場的論点からみて、全くの初対面になる赤の他人に、いきなり浴びせかけても良い、そういった種類の言語ではない。はるか未知なる分野にあって依然遠い、そんな、完全に社会の外にある、蔑まれ、阻害されてきた、呪語のひとつ、だとして、そんな、時代。時代もあり、とても恥ずかしくていえることではなかったので、「どこかに公衆電話ないですか」と尋ねた。するとこの先500メートルくらいのところにある、という。生還を確信した。そして実際に歩いたところ公衆電話があった。ポケットには30円だけある。しかしかけれるのは番号をおぼえている自分の携帯番号だけである。できるだけ少ない時間で確実なことを伝えるべく言葉をえらんだころにはもう、日が暮れかかっていた。

 受話器を手に取り、三十円をいれて、自分の携帯電話の番号にかけた。出た!Aがでてくれた!「なにしてるん!」「いや、ちょっと遭難してた」といってからいそいで、今自分のいる場所のこまかな点を説明したが、なんせ公衆電話から携帯にかけるのだ、十円玉のヘリが違う。すぐに、半分もつたえたいことを伝えきれずに電話は切れた。あわててさきほどのおじさんふたりがいる作業所みたいな家に戻った。

「あの、一番最寄りの駅ってどっちでしょうか?」おじさんはきょとんとした顔つきでいった。

「この辺駅なんかないで」

「いや!この辺じゃなくてもいいから!一番ちかくのを!」というと、もひとりのおじさんが「そやなあ、まあ、歩いて行ける距離じゃないけど、この道さっきの電話のほうにむけてずっといったら、着くんちゃうか」わらにもすがる気持ちってやつ。おれはいわれるがままに進んでいった。きづけばとっくに太陽はしずんでいた。しかし、たちどまってはいけないのだ。気配はどんどん暗黒を帯びてきた。

もはや夕刻、おれはアルチュール・ランボーの初期詩編「感覚」を頭の中で反芻していた。とにかく歩いたが、一向に駅らしきものはみえてこない。せいぜいちらほらと民家があるだけだ。曲がりくねったひたすらの一本道。体力というか靴擦れというか、

もうたとえるとすれば、友人を待たせているところといいメロスが途中で倒れて一瞬、「逃げよかな」と考えた、そんな感じ! 気づけばいつのまにか右手側に川が走っていた。そのときのおれには太宰治におけるタマガワ上水のように、少年時代の井上陽水のように、その川は誘惑的だった。

もういまが何時かすら、わからない。とびこんでしまうかな、と一瞬考えかかったが、その手にはのらない。とにかくこの道を前進するだけだ。はっきりいってもう、自分が二足歩行している感じは全くしない。

二足歩行と自分の区別すらつかない。

心身ともに、限界だな、と思い、すこし、休もうと思った。が! やんぬるかな! うまい具合に雨が降ってきた! おれはすかさず思った。

絶対わざとやろ、と!

が、わざとであろうがなんであろうが、それがまぎれもない現実であった!

おもいっきり大降りになってきた。着用してるパジャマはずぶ濡れである。寒い!寒すぎる!もうやけくそであった、考えるのをやめた。すると、助かった、ちょっと山をくりぬく形でトンネルがある。とりあえず、休もう。おれはトンネルの中、地面に倒れこんだ。一気に動く気はなくなった。今日はここで寝て、明日の朝、がんばろう。そうおもって、トンネルの中で地面に突っ伏して、寝た。寝たというか気絶に近かった。4時間くらい倒れていたと思う。めちゃくちゃ寒くて起きた。しかし、体力は回復している。もういちど細見先生と鳴滝先生に感謝した。再び歩き出して、やがてついに、おれは見た。一軒家を。しかも、こんな朝早くからなんか庭の手入れぽいことをしている、家の人がいてる! すばやくかけよって、駅が近くにないですかと、尋ねた。するというではないか!「この道、2キロほどさきにJRがあるよ」と!!

 乗り越えたのだ、おれは試練を乗り越えたのだ!死と隣り合わせの。まず普通に生活してて現代の日本人が遭遇しないであろう危機をおれは乗り越えたのだ!

全くかっこよくないところが哀れなのだが。

しかし、油断は禁物だ。その二キロの間に何があるかわからない。

そう、帰宅するまでが、遭難だ。確か小学生の時にそう教わった。そして今でも信じている。帰宅するまでが遭難ってやつだ。

ニキロ先にあった。確かに、駅が! しかし、ないではないか! なにがって電車賃が! 料金をしらべると、なんと二千円近くかかるではないか! しかも、運の悪いことにこんな田舎のくせに無人駅ではない! ちゃんとしっかり門番がいなさる。 

まあ、そういうのはわたくし得意なので柵を乗り越えて駅構内に侵入。でも想像していただきたい。山で遭難して、どしゃぶりのあめのなかトンネルで寝たおとこである。その姿は、まさにジャングルに逃避した兵隊さながらであった。この姿で電車にのって切符をみせてくださいとか巡回にきた車掌にいわれたりしないかなあ。ま、いっか! 電車にのりこんで、とりあえず、椅子にもたれたら、一瞬で寝てしまった。

柵越えが一番やりやすいT駅でおりた。そこから、最後の力を振り絞る感じに、実家まで帰った。おとんとおかんが、友達から、何回も心配の電話かかってきたで! とかいわれたが、とりあえず今は寝かせてくれないか。数時間後に目覚めたときは、体中、筋肉痛であった。

山殺気(*著者注…「山殺気」というのは音個のペンネームだ

……… 

混沌コントロール・山﨑雅之介

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混沌コントロール

1978年兵庫県尼崎市生まれ。作曲家、著作者、愚か者。政治活動結社「医療大麻開放党」(元「大麻自由党」)代表。IQ65 。  生まれ持ってのADHD患者であることが、誤診16年を経て判明したが、挙句、様々な薬物中毒に陥る。現在の日本の、特に精神医療に対して激しい怒りを持っている。これからも、持ち続ける。  と、思っていたが、2019年1月8日、捜査、及び、化学(科学)的根拠、令状文、また本人の自覚にかなり疑わしき部分が残る事情をもって「覚せい剤取締法違反」に問われ逮捕される。  およそ5ヶ月の勾留を経て、服薬量が大幅に回復(およそ十分の一の量にまでに減薬)。それでも、現在も、こりずに薬物問題に向き合っている。  その他、前科前歴多数。その殆どが間抜けな不注意によるもの。  バンド(地獄の一丁目)活動を経てバンド仲間から絶交される(実質見捨てられる形)にいたり、現在、アーティスト名を「混沌コントロール」と名乗り、「まったくライヴ活動をせずインターネット上だけで(つまりこの部屋から一歩も出ず…)世界を制覇してみせる」と断言。  2014年、本邦において初の動きとして創立に及ぶ政治活動結社「大麻自由党」が中国華僑新聞等のメディアにて世界的に着目を浴びたが、日本においてはその性質上メディアが全く動けず無視され続けるが、今後の展開が期待を孕む。(Wikipedia参照)  さらに2014年、CNNにて、その演奏姿が全世界に放映されるに至り、ひとまずは、宣言通りの野 望、その入り口にたどり着く。これから更に精進いたします。http://www.youtube.com/watch?v=1ExUt6i0boM&list=UUedHp6KcvCTPn-vEkXm8GwQ 混沌コントロール公式サイト(CTRL Global Label) http://konton-control.com/ 混沌コントロールサウンドクラウド https://soundcloud.com/konton-control https://soundcloud.com/konton-ctrl 混沌コントロールYoutubeチャンネル http://www.youtube.com/user/kontoncontrol 「この部屋から一歩も出ず、世界制覇」などと書いてはいたが、2013年5月頃、孤独死寸前の状況下において、拘留を受けたため、家賃が払えず、結局、部屋を追い出される。およそ、このあたりがその人生の第一部、完。  ミュージシャンとしての夢は、ゴールドディスクをいつか手にしてみせる!ということであるが、こないだ、すっかり更新忘れてて、 ゴールド免許さえ取得できなくなった のが、実際のところ。  2019年6月現在、フリーランス、在野において作曲、アレンジ、サウンドクリエーターの仕事を請け負っている。  さらに!現在、自伝をもとにした大長編作文小説執筆中。つづきは出版本で!詳しくは出版本で!!

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