いまだに残る拘留後遺症

作曲やら、別になんか役に立つのかたたないのか、いや、それさえどうでもいいようなことを考えながら、その合間にSNS(主にFB。Twitterはどちらかというと、拡散用)をやっていて、浮かんだ考えのメモやら、あと、周囲に、投稿をみておられる方も少なからずおられるだろうと思い、なるべく精一杯、自分なりに、「笑える言葉遣い」をチョイスしつつ、以前から、いい人だ、ありがたい人だ、と思っていたら、なにげにその人が投稿した一言が、厳しめだったり、否定的な文脈でものごとを語っておられて、実際、その否定、おれにも当てはまること、なので、なにか、わたくし、気に触るようなことしてしまったかなあ、と

自ら勝手に傷ついている。

でも、傷つく、ほどほどに傷つくというのは良いことだ。というのも、それを乗り越えることで、その程度のことで傷つかなくなるからである。実際、昔、今から10年以上前になるが、このPC、それもとりわけインターネット、の中でも特に、SNS、というのをやりだしてから、ひたすら

やっぱり、モノの見事に、勝手に自ら、傷ついてきた!

その中には、まさしく、わたくしに向けられた悪意もあれば、しかし、だいたいは、自分が気にし過ぎているあまり、その人は悪意も特になく、むしろ善意で言い放った言葉だったりするのが、自意識の投影やら葛藤やらにもつれて、自分を縛り付けてしまうようなことになっている。だいたい、そんな嫌味なことしなくたって、その嫌味が通じるかどうかさえ、わからないのに、己に言われている、というような、妄想は、ある意味自惚れとも取れる。

普通、いいたいことがあったら、直接ズバッと、それ、もしかしておれのことゆうてますか? 僕もそういうところあるんで、と、しっかり話し合えばいい。活字だけでコミュニケートする、ということには、人間は向いていない。しっかり、話し合うべきなのだが、色々、世の中、そうもいかないもので、何かと、辛いっすよね。文章に敏感な人ほど、もちろん、この妄想を生じやすい傾向にある、といえよう。SNSがあったからこそ出会えた嬉しい出会いもあれば、むしろ、そんな無駄に出会わなくてよかったかもしれん、というのも、ございますね。でも、それは、いわゆる、普通の社会においても言えることであり、今回も、またしても結論、およびオチはない。

混沌コントロール(kφntφn-cφntrφl)・山﨑雅之介 

にほんブログ村 にほんブログ村へ


にほんブログ村 音楽ブログへ



ブログランキングに参加しています。クリックお願いします。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です