ADHDその患者自らが語る驚異の学説(第二部)

 わたくしは、だいたいほとんどの向精神性の薬物が呼吸器に働きかけることを以前、FBでいっておいたが、別に呼吸器にだけこだわらずとも、あらゆる身体の反応が、精神に影響を及ぼすこと。よく観察すれば、それは一目瞭然ではないか、と思う。下品な話、から展開するが、あの、その、わたくし、勃起、しちゃいましてね、という場合!

 エロ動画を見て、ちんぽがたつ、こともあれば同時に、ちんぽ、がたつことにより、性的興奮を催すこともあろう? いや! おれはしてないで!?

 そんな、勃起だなんて、そんなこと、した試しがない!(山﨑雅之、EDか!?)というか、する必要がない!

そんな、エッチなやつちゃうからね?

しょんべんがしにくいだけ!

それをするのは、尿検査のときだけ!

「勃起しておりますので、尿検査はいまできませんな」となあ!…。

大丈夫! 勃起はしなくとも、射精はできるしな(疑い強まる)!? 40年間、全く勃起してませんから! 

童貞やしね!? 

結婚はしてても、童貞やからね!?

…話が脱線のあまり夢精した。 まあよい、ちんぽごときにビビっていて、ここから続きは読めない。覚悟はできたか? Ladies&Gentlemen?

………

二時間。覚悟を与えるのに、二時間待った。故にいきなり答えを出す。死んだとき、果たして、我々のなにが止まるか、だ。

答え、呼吸と鼓動、つまり、肺と心臓である。逆に肺と心臓が止まれば、人は死ぬ。あ、そうだった、呼吸の整理的および薬理的説明。これだった。

数息観における自律神経調節はアドレナリンを抑制し、副交感神経優位の状態をもたせることが、その薬理的な説明となる。感情というのは脳によるものであると同時に身体そのものに埋め込まれている、身体の反射神経によるものである。すべての感情を有随意に扱える、ならば、薬物など流行るわけも、必要もない。自律神経を鍛える、というか調節するために、古代が編み出したものが、禅を代表とする修行体系である。禅においては

「静かに、ゆっくり、深く呼吸すること」を、まず、その第一義に「信仰心など二の次で良いからまず、呼吸を整えよ」という由である。

それとは真逆に、心理学によって(スタニスラフ・グロフ。はじめ、LSDによる意識変容を精神分析学的アプローチから研究していたが、LSDの世界的規制により、呼吸法と身体的アプローチによる意識変容の技術を編み出す。臨床例は3千以上にのぼる)編み出されたのが、その、速くて深い呼吸であり、これは、自律神経を抑え込むというよりかは、むしろ、過活動、交感神経を通常ならざる状態に賦活することにより、アドレナリンを超活発にすることでえられるのではないか、というのが、わたくしの薬理説明である。なぜなら、LSDの薬理として、そのもっともたる効果が、そのアドレナリンをフルに作動させることによるものだと、研究によって証明されてあるためである。もちろん、アドレナリンの一言でかたづく説明ではないが、薬理学上の説明としては、一応、これで納得がいく。

脳機能の欠陥による個人の苦痛をもって、「精神異常」とするには、はっきり言ってそれは、内科領域の話である。その苦痛を取り除く方法(主に投薬。それは緊急の問題であるためだ)で解決する。

個人が「心を病んでいる」と、すれば、それは、全世界の問題である。というのは、たとえば、いわゆる、精神異常という状態が、その社会、環境、時間によっては、悟り、と見る場合もあり、あまりに成長しすぎたあまりの、社会不適応、といいかえることもでき、煎じ詰めれば、その場によっては「心を病んでいる」どころか、立派な人、自己と世界に隔たりがない(仏教でいうと空に近い)、と見ることも可能だからだ。君のお父さんが仕事場では立派な人間であると同時に家庭においては、ダメおやじ、になる、と簡単に言えばそんなかんじ!

「SNSでは問題児、社会においては、犯罪者」(学校の門前にはっていそうなことば)、もええで、別におれはそれでもええで? それが、「時代が変われば先駆けの人」やしな! そうおもわな、やってられへん!

ADHDの衝動性

次は、衝動性、である。これまた、専門知識を中途半端にひけらかすことになるが、それが、わたくし、結構、好きなので、スノッブ、いいますか、ディレッタントいいますか、偽君子、いいますか、勤勉な馬鹿、言いますか、そう思わないできいていただきたい。覚悟は良いかい、Boys&Girls?

 ADHDに顕著である、衝動性。ユングは人間の機能を「思考、感情、感覚、直観」この4つに分けた。と、孫引きであるが、そうきいている!煩い!私はそうきいているんだ、うるさい! いいから、いいから、読み給え。その4つに、さらに、衝動、空想、というものを、ロベルト・アサジオリは付け加えました、つけくわえましたよ! と!

ほう、なんだかわかったようなわからないような…なぜというに、曖昧、な細分化であるからだ。なぜ、曖昧か、と、我々素人からすれば、それは、決して、その機能が一つの機能で人間の行動として成り立つことがなく、表象されることもなく、すべてが、比重は異なれ、組み合わさって、表に出るため、である、と、そう考える、うえ、どこからどこまでが、思考で、どこからどこまでが感情、であるか、感覚的に感情を持つ、事もあれば、感情的に思考する、こともあり、衝動的に感情を持つ、衝動的な空想をする、こともある。といおうか、言葉の定義がおそらく、時代によるものだろう。合理的に明確化しようとあせったあまり、できていないんではないのか、と見るしかない。そこは、適当に考えてもらいたい、上、適当に発言しようと思う。

「人間は広いよ、広すぎるくらいだ! おれならもっと縮めたいね」(カラマーゾフの兄弟)

そこで、ADHDの指摘されて肩身が狭い、衝動的行動、発言。これが一体何なのか、と、考えたとき、もちろん先程行ったように、「感情」的、及び、「感覚」的及び、「空想」しながら、「思考」しつつ、「直観」でいう! それがもつれにもつれた挙げ句、と「衝動」的に書くのだが、やっぱり、集中、注意力に困難があるため(集中、これに関しては、メカニズムによる定義がシンプルである)、周囲に気を配る余裕がなく、また、伝達物質のアンバランスから、ハイになったあまり、空想の範囲内で直観によってわかった気になり、思考をいきなり、場の空気に従わず、発言してしまう、行動してしまう(つまり、実は計画性がない、他意がない。普段、そんなこと、思ってもいないのだが、もちろん、この文章も全くのアドリブで書いている)。

これが、衝動、と一般的にみられてしまうのである。一般的にみられる、のことば。

つまり、どういうことか、「一般というものがあって初めて、衝動はなりたつ、それがたとえ、自傷癖であろうが、なんであろうが、自己完結している限りは、本人にとって突発でも何でもなく、それをもって衝動の一言では、かたづけえない。衝動ですらない、一体、なんのあげくであるかは謎である」ということである。が、「一般的にみて」、突発であるため、あの人は、衝動的にいきなりやる、と、「場の空気」が、それを、そう、断ずる、ということだ。やっぱり、社会、環境、タイミング、個人の統合化と、それをもって「心の問題」とする、という、いつもの答えだ。ゆるしてくれ!

独学、とはいえ、約36年がかりで考え貫かれた、ものだ。間違いなく、研究者が時間を割いて、研究費を駆使して、議論などを周到に重ねていく中、それも必要なことだとは思うが、わたくしの場合、生まれてから今の今まで、ずっと、そのことに向かい合っている。向かい合いたくもないんだが、症状があるため、向かい合わざるをえない。そして、症状を忘れた頃にやってくる、のが、今回のような、逮捕であったり、深い意味はないが、皆んなにとって、良かれと思ってやったことが、不注意による誤解やミスをおまけでもれなくついて回って、己に復讐されるような事が起こる。そして、九死に一生を得たことも、少なからず何度かあった。身体の中で、骨折していない箇所が、ちょっと思いつかない。

それこそ、「バカは馬鹿なりに、頭脳、など、完全に破壊して生きてきた」。

別に適当でもよくね?

 と「人生をコーヒースプーンで」(エリオット)の箇所、「わたくしはわたくしの人生をシケモクの長さと数で測ってきた」中途半端なおれごときが、なまじ、計算を働かせるから、おれは、つまらない。…そう思い、徹底的に頭を強打してきた。させてきた。愛用車は救急車とパトカーである。過言ではない。ケチくさいことはこの際、なしである、と。多少頭がおかしくなろうが、それが、今、この瞬間に絶対に維持するほどのものか、と。それがどないしてん、と開き直り居直り、ごまかしつつ、それでも、なんとか、いきてきた。そして、いきているうちに、いつ、不注意で、何が起こるかわからないことが、まだ、おこっていないうちになるべく、時には偉大な考えを、思考する必要がある。それを展開させる必要がある。皆さんほどではないにせよ、これでも、男だ、男の中の、男、好き、だ。…ん? いやだから、おとこ、とはやってないしな!?(混沌コントロールゲイ疑惑!?)

三日くらい殆ど寝ておりません。

二時間くらい寝たかも知れない。ADHDの現代において致命的な特徴。時間感覚がない。あるいは著しく狂っている。

アインシュタインもADHDだった、ときいているが、相対性理論は、そんな生来のものがあったからこそ、思いついたものかも知れない。

時間は相対的なものである、時計なしに一秒を、万人共通のものとして統一できない。くらいに、相対性理論の基本概念をとらえているが、適当である。話半分にきいてもらいたい。

わたくしの身内に、時間感覚に関して、十分刻みくらいで、時計がなくとも正確とまでは、しらないが、ほぼ、時間の感覚が身についている、というのがいる。いや、もしかしたら、わたくし、及びADHDではない、「人は本来」、そういうものかも知れない。わたくしは、もともとそれが欠如しているらしく、それは、最近になってやっと客観的に、判明したのだが、しかし、よく、自分の生育状況を、幼児の頃から、残されている書類等の情報を見て、振り返るに、時間がほとんど守れていない。考えてみれば当然だ。

集中が困難なのだから、自分の外の状況、つまり、時間の経過に気を配れる余裕があるわけがない。

多動性たる所以である。集中が散漫になると、どうなるか、一言で、「集中」というと、「一つのことに全力を注ぐ様子」(国語辞典風に書いた)を、思い浮かべがちであるが、そして実際にそれもできるが、程よい集中が保てる、ということが大事なのである。特に、一般生活において、あれもこれも同時とまでは行かなくとも、一緒に解決していかねばならない。もし、仮に、あくまで仮にであるが、山本太郎に軍配が上がるとすれば、その多方面において、だ。

悔しい。それが、政治家の仕事なのかも知れない、わたくしははっきり政治家ではない、政治結社を立ち上げただけだ。本邦初の動き、この部分だけ強調できれば実はそれで良い。頑張ってください、れいわ新選組さん。

脱線失礼、集中しすぎる状態、これも、ADHDの特徴である。というのも、他に面白いことが少ないため、そうならざるをえないのである。わたくしにしたところで、趣味として楽しむというものをあげろ、と言われて即答ができない。誤字脱字が多いのは、タイピングする際、タイピングすること、にのみ、全力が傾けられており、文法も、途中でもつれ乱れて行く。完全に散漫になると、何ものにも集中できないので、放心状態、空想領域くらいのところで、様々なことを考えているが、記憶にとどまらない。それが、いつしか、時折、意識に流れ込み、いきなりまとまった意見として、発想力となる、それは自負している。集中力が程よくキープできる、これが、本来である。少なくとも、現代人の社会適応性基準となる。気持ちの切り替えにすら、「注意力」がいるためだ。過集中状態では、そのスイッチが制御不能となり、逆に何もできないような事態に陥っているという、逆説が起こる。なにもできない、といっても、禅問答的で恐縮なのだが、

「なにもできないことすら、できない」という状態になる。

教室内を授業に集中ができず、うろつきまわって耐える光景が印象的だ。それを、社会的なプログラミングによって、ある一定のところまでは正すことができる。すなわち、空手道、サッカーなど、身体を鍛えることが、根性につながる。いや! おれはないねんで!? こんじょうないねんで?

 だから、一概に、教育でなんとかなるものではない、ということもできない。実に言いにくいことなのだが、覚せい剤を、数度体験した人には、その、集中と集中散漫の状態が、精神が見える、と、思う。

この、「驚異の学説」をいきなり関を切ったかのように、ひらめいたのは、そんな中毒体験もあったから、である。「一定のドーパミンシステムが正常に働いた状態」では、日常のことが、大分、ましにできるようになる。

が、過ぎたるは及ばざるが如し、というのが、この問題である。若気の至り、傲慢さから、わたくしは、完全にコントロールを失った過去を持つ。

「いつか、包丁振り回すハメになる」今回、覚せい剤取締法違反で捕まり、覚えていないことなので、甚だ疑問があるがまあ、それはよろしい…昔、散々やってたことは確かだ。裁判官から言われたが、実は、それは、卒業した話であった。…。

ADHDが、薬物中毒に陥りやすいのは、何を隠そう、「薬物による禁断症状が、生まれつき、そなわっているため」である。

ただ、それを補うための覚せい剤には欠点がある。それは、「注意力」が、あまりにも過敏になるあまり、いちいちのことが、気になって仕方ない。その状態を、いとも簡単に心理的過程を経ずに、つまり、いきなり、薬理効果だけで、作り出してしまうものだから、世界に対して、疑念、猜疑心、妄想、それにとらわれて行動化した状態であるせん妄にいち早く陥る。注意力、集中のしすぎから、常に緊張状態に陥る

そんな感じである。それも極度に。速攻(速いやつ、スピード!)

メカニズムというと、ややこしいかも知れないが、緊張状態、恐怖、不安、空想の行き過ぎた妄想、これが、なぜ、備わっているか、というと、命を守るため、に違いないのだが、その状態を司る受容体が、ドーパミンD2であり、これの受容体をふさいで、ドーパミンによる刺激反応を生じさせないようにする、というのが、一番確立された、精神病の治療方法である。それらの研究が進み、わかったのだが、また、抑える薬の開発が進んで、社会適応可、となったため、そんな残酷なイメージをなんとかある程度、回避するためにできたことばがある。

「統合を失調してある」、という、考えてみれば、人間みんな当たり前の言葉を、病気に当てはめてあるのだ。ここでは、分裂病というが、その症状に陥るのが、統合失調症であり、要は覚せい剤精神病と、分裂病は全くメカニズムにおいては同じなのである。その、反対に「快感」「報酬機能」「満足」「多幸」を司る受容体が、D1受容体である。つまり、ドーパミンが放出されすぎて、それだけでは、外的攻撃因子が生命という個体に襲いかかったとき、襲われている危険な状態で、それでも、ドーパミンによって、集中、多幸、快感、「妄想を忘れてまでの集中」に「うつつを抜かしている」ような、わたくしみたいな状態であった場合、どうなる? 

生存に関わり,そうして、そんな人たちは淘汰されていきがちで、実際大分淘汰されてきた。だから、D2という、別の真逆の感情を誘発する受容体が存在しているのである(感情、それがすなわち、思考、空想、直観に影響することはあたりまえである)。

独学。いや、しかし、眠たい…。

そして現在さらに、困った、というと、男らしくないので、腹が立つ、ことに、近辺の医者から、やつにエフェドリンを出すな、という、もはや別にいらない通達がふれ回っている、ということを告知された。 物質的な問題でも、精神的な問題でも無論なく、「こころの問題」として、そういうふうにもっていかれると、通すべき窓口にはすべて、ありのままを恥を忍んで(!…やれやれ、まだ、忍ぶ恥があったか!)、だいのおとこが、なみだながらに、その恥を恥として隠すことも潔しとせず、もう一度いうが、だいのおとこが、ひたすら、ただ、人並みの覚醒水準をキープするために、やむなく、頭を下げ、時間を潰しながら、しかし、もし「あるきながら交通事故にあっては相手方に悪い」(ちなみに、交通事故だけで五回、救急車のお世話になっている)と、思い、健気にも病院に通ってた。

と言って、現段階で症状に対処しうる方法も、胸を張ってやれる手段も、あまりない。あるにはあるが、ほぼ、それくらいしかないため、苦痛な待ち時間を、ギャグで乗り切りながら通っていたが、ますます、なんか、…言いにくいが、虫の居所が悪くなってきた! かまうもんか。

だが、ヒロポンを常用することだけは避けたい

しかし、症状にあわせていては、すでに遅い、多分、間に合わない。死ぬ、それは死ぬ! 実のところ、悪知恵、といっておかしければ、処世術は他にもいっぱいあるのだが、それはそれでますます生活が、限られてくる。「自由の刑に処せられていた」人が羨ましい、とかの皮肉も思いついてしまう。わたくしは、症状に対応するためにいきているのではない。こんな言いたくもない愚痴も、そら、さらに言い方はどうかと思うが、「医療的村八分」に陥ると、ひがまずにはおられない。こぼさずにはおられない。確かに、刺激になれてしまったことも、大いにある、と認めるが、なぜ、他の向精神薬はいくらでも出せて、それに限っては、司法的裁きを経た今も、詰まり、許されていた自由の範囲内で、個人情報まで無視されて、「医療的制限をするものではない」はずの、納得の行く、治療が見つかった、わけではないが、マシな、方法を封じられていく。まさか、なんか、それに類似するやり方をもう一度、と期待されてるのか、と、含み笑いをせずにはおられない。

眠剤を飲みたくない、そして、実際、眠剤を、大幅に減らして、依存、中毒性のないもの、に切り替えた、ところ、これまた、ショックだ。おめでたい。法定の除外理由、と、そんな条件下でいわれても、わからないんだが? それはえたものの、全く関係のないものまで、他をあたってくれ、と言われても、まあ、これ以上は説明もめんどくさい。そして、あまりしてはならない、説明でもある。修行のやりなおしやな。おれは選挙には行かない。おれの虫の居所の悪いときに選挙なんぞやりやがって!

 今は。 悔しい。

混沌コントロール・山﨑雅之介

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混沌コントロール

1978年兵庫県尼崎市生まれ。作曲家、著作者、愚か者。冒険家。政治活動結社「医療大麻開放党」「東京公司大麻党連邦捜査局」(元「大麻自由党」)代表。IQ65 。前科3犯。  生まれ持ってのADHD患者であることが、誤診16年を経て判明したが、挙句、様々な薬物中毒に陥る。現在の日本の、特に精神医療に対して激しい怒りを持っている。これからも、持ち続ける。  と、思っていたが、2019年1月8日、捜査、及び、化学(科学)的根拠、令状文、また本人の自覚にかなり疑わしき部分が残る事情をもって「覚せい剤取締法違反」に問われ逮捕される。  およそ5ヶ月の勾留を経て、服薬量が大幅に回復(およそ十分の一の量にまでに減薬)。それでも、現在も、こりずに薬物問題に向き合っている。  その他、前科前歴多数。その殆どが間抜けな不注意によるもの。  バンド(地獄の一丁目)活動を経てバンド仲間から絶交される(実質見捨てられる形)にいたり、現在、アーティスト名を「混沌コントロール」と名乗り、「まったくライヴ活動をせずインターネット上だけで(つまりこの部屋から一歩も出ず…)世界を制覇してみせる」と断言。  2014年、本邦において初の動きとして創立に及ぶ政治活動結社「大麻自由党」が中国華僑新聞等のメディアにて世界的に着目を浴びたが、日本においてはその性質上メディアが全く動けず無視され続けるが、今後の展開が期待を孕む。(Wikipedia参照)(のちに削除)  さらに2014年、CNNにて、その演奏姿が全世界に放映されるに至り、ひとまずは、宣言通りの野望、その入り口にたどり着く。これから更に精進いたします。http://www.youtube.com/watch?v=1ExUt6i0boM&list=UUedHp6KcvCTPn-vEkXm8GwQ 混沌コントロール公式サイト(CTRL Global Label) http://konton-control.com/ 混沌コントロールサウンドクラウド https://soundcloud.com/konton-control https://soundcloud.com/konton-ctrl 混沌コントロールYoutubeチャンネル http://www.youtube.com/user/kontoncontrol 「この部屋から一歩も出ず、世界制覇」などと書いてはいたが、2013年5月頃、孤独死寸前の状況下において、拘留を受けたため、家賃が払えず、結局、部屋を追い出される。およそ、このあたりがその人生の第一部、完。  ミュージシャンとしての夢は、ゴールドディスクをいつか手にしてみせる!ということであるが、こないだ、すっかり更新忘れてて、 ゴールド免許さえ取得できなくなった のが、実際のところ。  2019年6月現在、フリーランス、在野において作曲、アレンジ、サウンドクリエーターの仕事を請け負っている。  さらに!現在、自伝をもとにした大長編作文小説執筆中。つづきは出版本で!詳しくは出版本で!!

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