ADHD!生まれもっての患者自らが語る驚異の学説(第三部)

別に、誰に対して挑みかけるわけではないのであるが、これを果たして、諸君は笑えるだろうか。いやちゃうねんで! ときには、向かい合ってほしいだけやで!?

今回、わたくしが学んだことは、誰の中にも、統合失調症の気があるんじゃないか、ということである。

おそらく、間違いない、と睨んで自信満々の「ADHD、その患者本人が語る驚異の学説」によると!

統合失調症の症状と対極のメカニズムにあるのが、ADHDである。その証拠に、彼らは、傷つきやすいかもしれないが、同時に、かなり無頓着である。と言い切って間違いない。人のことを全く気にかけていないかのように映ることが多々あると思う。そして実際、彼らは、自分のことで精一杯どころか、自分の身の回りの整理整頓はおろか、状況把握すらできてはいない。気にならない、といえば、気にしろよ、と思われるかもしれないが、気にしだすと、ほかのことが何もできなくなるのである。

これはあくまで、一例であるが、その逆に、統合失調症の症状は、非常に大まかに言って、ほかからの視線や考えや伝聞を重視する、どころか、それだけが真実である、というところまで、妄想が高まり、それに囚われ、最悪、行動化する。伝達物質の受容体に特徴が現れていて、どうも、統合失調症の場合、古くから、そのメカニズムがわかっており、打つ手も開発されてきていた。

心理学的アプローチではやや遅れを取るのでどうしても投薬が主。D2受容体を遮断して機能の過敏さを防ぐ、のがその主なやり方)なのであるが、ADHDの場合、どちらかというとそのドーパミン・システムの、どちらかというと、鈍さ。「アンバランス」、とまでは、学術的にわかっているようだが、わたくしは、普段においては明らかに、機能の低さだ、と断言する)。

但し、おそらくそれは、ドーパミン1(D1)受容体への親和性の低さ、だと思う、が、一体、こんなところでわたくしは、何をこんな偉そうに言っているのか、謎であるので、大体のいいたいことは察しがついたと思われるので、やっぱり、ちょっと、もうちょっと、休んでおきたい。

だから、結論を急ぐため、訊ねるに、皆さんは一切ないだろうか? SNSをやっていて、何気ないどこかの言葉に自己の投影をしてしまい、「自分のことだ」、と思い込み、それが違っていたことに気がついたりしたことが! ほら! やっぱり! それは、はや、統合失調症の兆候といっていい(ない、と、いわないでほしい! いまは! という、おれが一番、ヤラレ気味である、だからこそ、見える!)。

そして、見つけたからには、教訓を拾わないといけない。つまり、誰にでも、統合失調症のケアができる可能性が、少なくとも、気持ちに寄り添える可能性くらいはある。ただ、安易にそれが通じる場合、通じない場合の見極めが厄介だ。

実際、かなり、これをいうべきか迷った。しかし、かまうもんか! おれだって昔は赤坂で鳴らしたんだ、かまうもんか!

成長、というとその定義が難しい。何をもって成長、というか、それこそ人それぞれかもしれん。ここではアイデンティティの移行、あるいは人間性の拡大、一つの生き方に執着せず自由に生きる、すべてを認め、許し、肯定できる、くらいの意味合いで、成長、とあえていってここでは話をすすめたいが、わたくしは現在、悩んでおります、深刻には受け取らないでほしいのですが、わたくしなりに悩んでおります。

何に悩んでいるかというと、練習を重ねるたびに、自分のギタープレイヤーとしての未熟、下手くそさが耳について仕方がない。作曲に関してもクラシックの楽曲などは、後世に伝わるほどに洗練されており、実に優れている。わたくしの楽曲など子供だましに思える。文章などは作文レベルの文章だと自分では思う。

そこで、どうしても、どれを極めて自分なりの生きた証を立てるか、それを考えたとき(それも執着ですが、わたくし、非常に色を好んでおりますので!)、どれも捨てがたい! しかし、時間がない! その「3つの道」を極めるには、あまりにも一生は短い。そう、焦ってしまう。拘置所の中では、とんでもなく長く感じた一日が外では、一瞬のうちに過ぎ去ってしまう。

どうしよう、どこにアイデンティティを置くべきか、そんな、青春時代の悩みみたいなものに、翻弄されております。

そこで、アイデンティティの変化、にも、一つのアイデンティティを放棄して成長する場合と、一つのアイデンティティを内包して成長する場合がある、と、それはたしかにいえると思います。しかし、心理学でよくいわれてるみたいなんですが、アイデンティティを拡大していくときに、人は少なかれ、錯乱状態に陥る。成長が病理と同じような過程をたどる、と最初にユングがいったようですが、体験上、わたくしとしてもそれは間違いない。

そして個人的には薬物の問題、明らかに中途半端にやりすぎていた状態から、今、移行しつつある。

そこでやはり逮捕、勾留されてから過敏になってしまい、錯乱、統合失調症様の内面葛藤を見せている。別に恥ずかしいことではないはずだ。

今日も悩みは続く。青春である。

*連れが医療関係者向けの記事を書く仕事をしはじめた。しかし、何を書いていいかわからない、というので、最後の砦であるわたくしに相談が来た。「おれが知るかそんなこと」といったが、通院歴、そしてその量、医者との確執(格、質、においてはわたくしに軍配がある)、診療拒否率などにおいて、わたくしの右にでるものも、そうはいない。

だからありったけ、懇切丁寧に文句をおれの言うとおりにかけばいい、いってやったら、そのままを書いた。心の奥底では、不採用を狙っていた。そしてその後、ざまあみろ、裏切られて騙される、それも医療のうちだ、診察のうちだ、そういって笑ってやりたかった。

そしたら、モノの見事に、「完璧な記事です!」と採用になりやがって、悔しい限りである。ざんねんだ。

嬉しい。

ADHDその患者自らが語る驚異の学説(第二部)

わたくしは、だいたいほとんどの向精神性の薬物が呼吸器に働きかけることを以前、いっておいたが、別に呼吸器にだけこだわらずとも、あらゆる身体の反応が、精神に影響を及ぼすこと。よく観察すれば、それは一目瞭然ではないか、と思う。下品な話、から展開するが、あの、その、わたくし、勃起、しちゃいましてね、という場合!

 エロ動画を見て、ちんぽがたつ、こともあれば同時に、ちんぽ、がたつことにより、性的興奮を催すこともあろう? いや! おれはしてないで!?

 そんな、勃起だなんて、そんなこと、した試しがない!(山﨑雅之、EDか!?)というか、する必要がない!

 そんな、エッチなやつちゃうからね?

しょんべんがしにくいだけ!

それをするのは、尿検査のときだけ!

「勃起しておりますので、尿検査はいまできませんな」となあ!…。

大丈夫! 勃起はしなくとも、射精はできるしな(疑い強まる)!? 40年間、全く勃起してませんから!童貞やしね!? 結婚はしてても、童貞やからね!?話が脱線のあまり夢精した。まあよい、ちんぽごときにビビっていて、ここから続きは読めない。覚悟はできたか? Ladies&Gentlemen?

二時間。覚悟を与えるのに、二時間待った。故にいきなり答えを出す。死んだとき、果たして、我々のなにが止まるか、だ。答え、呼吸と鼓動、つまり、肺と心臓である。逆に肺と心臓が止まれば、人は死ぬ。あ、そうだった、呼吸の薬理的説明。これだった。数息観における自律神経調節はアドレナリンを抑制し、副交感神経優位の状態をもたせることが、その薬理的な説明となる。感情というのは脳によるものであると同時に身体そのものに埋め込まれている、身体の反射神経によるものである。すべての感情を有随意に扱える、ならば、薬物など流行るわけも、必要もない。自律神経を鍛える、というか調節するために、古代が編み出したものが、禅を代表とする修行体系である。「静かに、ゆっくり、深く呼吸すること」を、まず、その第一義に「信仰心など二の次で良いからまず、呼吸を整えよ」という由である。

それとは真逆に、心理学によって(スタニスラフ・グロフ。はじめ、LSDによる意識変容を精神分析学的アプローチから研究していたが、LSDの世界的規制により、呼吸法と身体的アプローチによる意識変容の技術を編み出す。臨床例は3千以上にのぼる)編み出されたのが、その、速くて深い呼吸であり、これは、自律神経を抑え込むというよりかは、むしろ、過活動、交感神経を通常ならざる状態に賦活することにより、アドレナリンを超活発にすることでえられるのではないか、というのが、わたくしの薬理説明である。なぜなら、LSDの薬理として、そのもっともたる効果が、そのアドレナリンをフルに作動させることによるものだと、研究によって証明されてあるためである。もちろん、アドレナリンの一言でかたづく説明ではないが、薬理学上の説明としては、一応、これで納得がいく。
脳機能の欠陥による個人の苦痛をもって、「精神異常」とするには、はっきり言ってそれは、内科領域の話である。その苦痛を取り除く方法(主に投薬。それは緊急の問題であるためだ)で解決する。

個人が「心を病んでいる」と、すれば、それは、全世界の問題である。というのは、たとえば、いわゆる、精神異常という状態が、その社会、環境、時間によっては、悟り、と見る場合もあり、あまりに成長しすぎたあまりの、社会不適応、といいかえることもでき、煎じ詰めれば、その場によっては「心を病んでいる」どころか、立派な人、自己と世界に隔たりがない(仏教でいうと空に近い)、と見ることも可能だからだ。君のお父さんが仕事場では立派な人間であると同時に家庭においては、ダメおやじ、になる、と簡単に言えばそんなかんじ!

「SNSでは問題児、社会においては、犯罪者」(学校の門前にはっていそうなことば)、もええで、別におれはそれでもええで? それが、「時代が変われば先駆けの人」やしな! そうおもわな、やってられへん!

次は、衝動性、である。これまた、専門知識を中途半端にひけらかすことになるが、それが、わたくし、結構、好きなので、スノッブ、いいますか、偽君子、いいますか、勤勉な馬鹿、言いますか、そう思わないできいていただきたい。覚悟は良いかい、Boys&Girls?

 ADHDに顕著である、衝動性。ユングは人間の機能を「思考、感情、感覚、直観」この4つに分けた。と、孫引きであるが、そうきいている!煩い!私はそうきいているんだ、うるさい! いいから、いいから、読み給え。その4つに、さらに、衝動、空想、というものを、ロベルト・アサジオリは付け加えました、つけくわえましたよ! と!

ほう、なんだかわかったようなわからないような…なぜというに、曖昧、な細分化であるからだ。なぜ、曖昧か、と、我々素人からすれば、それは、決して、その機能が一つの機能で人間の行動として成り立つことがなく、表象されることもなく、すべてが、比重は異なれ、組み合わさって、表に出るため、である、と、そう考える、うえ、どこからどこまでが、思考で、どこからどこまでが感情、であるか、感覚的に感情を持つ、事もあれば、感情的に思考する、こともあり、衝動的に感情を持つ、衝動的な空想をする、こともある。といおうか、言葉の定義がおそらく、時代によるものだろう。合理的に明確化しようとあせったあまり、できていないんではないのか、と見るしかない。そこは、適当に考えてもらいたい、上、適当に発言しようと思う。

「人間は広いよ、広すぎるくらいだ! おれならもっと縮めたいね」(カラマーゾフの兄弟)

そこで、ADHDの指摘されて肩身が狭い、衝動的行動、発言。これが一体何なのか、と、考えたとき、もちろん先程行ったように、「感情」的、及び、「感覚」的及び、「空想」しながら、「思考」しつつ、「直観」でいう! それがもつれにもつれた挙げ句、と「衝動」的に書くのだが、やっぱり、集中、注意力に困難があるため(集中、これに関しては、メカニズムによる定義がシンプルである)、周囲に気を配る余裕がなく、また、伝達物質のアンバランスから、ハイになったあまり、空想の範囲内で直観によってわかった気になり、思考をいきなり、場の空気に従わず、発言してしまう、行動してしまう(つまり、実は計画性がない、他意がない。普段、そんなこと、思ってもいないのだが、もちろん、この文章も全くのアドリブで書いている)。

これが、衝動、と一般的にみられてしまうのである。一般的にみられる、のことば。つまり、どういうことか、「一般というものがあって初めて、衝動はなりたつ、それがたとえ、自傷癖であろうが、なんであろうが、自己完結している限りは、本人にとって突発でも何でもなく、それをもって衝動の一言では、かたづけえない。衝動ですらない、一体、なんのあげくであるかは謎である」ということである。が、「一般的にみて」、突発であるため、あの人は、衝動的にいきなりやる、と、「場の空気」が、それを、そう、断ずる、ということだ。やっぱり、社会、環境、タイミング、個人の統合化と、それをもって「心の問題」とする、という、いつもの答えだ。ゆるしてくれ!
独学、とはいえ、約36年がかりで考え貫かれた、ものだ。間違いなく、研究者が時間を割いて、研究費を駆使して、議論などを周到に重ねていく中、それも必要なことだとは思うが、わたくしの場合、生まれてから今の今まで、ずっと、そのことに向かい合っている。向かい合いたくもないんだが、症状があるため、向かい合わざるをえない。そして、症状を忘れた頃にやってくる、のが、今回のような、逮捕であったり、深い意味はないが、皆んなにとって、良かれと思ってやったことが、不注意による誤解やミスをおまけでもれなくついて回って、己に復讐されるような事が起こる。そして、九死に一生を得たことも、少なからず何度かあった。身体の中で、骨折していない箇所が、ちょっと思いつかない。

それこそ、「バカは馬鹿なりに、頭脳、など、完全に破壊して生きてきた」。

別に適当でもよくね?

 と「人生をコーヒースプーンで」(エリオット)の箇所、「わたくしはわたくしの人生をシケモクの長さと数で測ってきた」中途半端なおれごときが、なまじ、計算を働かせるから、おれは、つまらない。…そう思い、徹底的に頭を強打してきた。させてきた。愛用者は救急車とパトカーである。過言ではない。ケチくさいことはこの際、なしである、と。多少頭がおかしくなろうが、それが、今、この瞬間に絶対に維持するほどのものか、と。それがどないしてん、と開き直り居直り、ごまかしつつ、それでも、なんとか、いきてきた。そして、いきているうちに、いつ、不注意で、何が起こるかわからないことが、まだ、おこっていないうちになるべく、時には偉大な考えを、思考する必要がある。それを展開させる必要がある。皆さんほどではないにせよ、これでも、男だ、男の中の、男、好き、だ。…ん? いやだから、おとこ、とはやってないしな!?(混沌コントロールゲイ疑惑!?)

三日くらい殆ど寝ておりません。

二時間くらい寝たかも知れない。ADHDの現代において致命的な特徴。時間感覚がない。あるいは著しく狂っている。

アインシュタインもADHDだった、ときいているが、相対性理論は、そんな生来のものがあったからこそ、思いついたものかも知れない。

時間は相対的なものである、時計なしに一秒を、万人共通のものとして統一できない。くらいに、相対性理論の基本概念をとらえているが、適当である。話半分にきいてもらいたい。わたくしの身内に、時間感覚に関して、十分刻みくらいで、時計がなくとも正確とまでは、しらないが、ほぼ、時間の感覚が身についている、というのがいる。いや、もしかしたら、わたくし、及びADHDではない、「人は本来」、そういうものかも知れない。わたくしは、もともとそれが欠如しているらしく、それは、最近になってやっと客観的に、判明したのだが、しかし、よく、自分の生育状況を、幼児の頃から、残されている書類等の情報を見て、振り返るに、時間がほとんど守れていない。考えてみれば当然だ。集中が困難なのだから、自分の外の状況、つまり、時間の経過に気を配れる余裕があるわけがない。多動性たるゆえんである。集中が散漫になると、どうなるか、一言で、「集中」というと、「一つのことに全力を注ぐ様子」(国語辞典、風に書いた)を、思い浮かべがちであるが、そして実際にそれもできるが、程よい集中が保てる、ということが大事なのである。特に、一般生活において、あれもこれも同時とまでは行かなくとも、一緒に解決していかねばならない。もし、仮に、あくまで仮にであるが、山本太郎に軍配が上がるとすれば、その多方面において、だ。

悔しい。それが、政治家の仕事なのかも知れない、わたくしははっきり政治家ではない、政治結社を立ち上げただけだ。本邦初の動き、この部分だけ強調できれば実はそれで良い。頑張ってください、れいわ新選組さん。

集中しすぎる状態、これも、ADHDの特徴である。というのも、他に面白いことが少ないため、そうならざるをえないのである。わたくしにしたところで、趣味として楽しむというものをあげろ、と言われて即答ができない。誤字脱字が多いのは、タイピングする際、タイピングすること、にのみ、全力が傾けられており、文法も、途中でもつれ乱れて行く。完全に散漫になると、何ものにも集中できないので、放心状態、空想領域くらいのところで、様々なことを考えているが、記憶にとどまらない。それが、いつしか、時折、意識に流れ込み、いきなりまとまった意見として、発想力となる、それは自負している。集中力が程よくキープできる、これが、本来である。少なくとも、現代人の社会適応性基準となる。気持ちの切り替えにすら、「注意力」がいるためだ。過集中状態では、そのスイッチが制御不能となり、逆に何もできないような事態に陥っているという、逆説が起こる。なにもできない、といっても、禅問答的で恐縮なのだが、

「なにもできないことすら、できない」という状態になる。

教室内を授業に集中ができず、うろつきまわって耐える光景が印象的だ。それを、社会的なプログラミングによって、ある一定のところまでは正すことができる。すなわち、空手道、サッカーなど、身体を鍛えることが、根性につながる。いや! おれはないねんで!? こんじょうないねんで?

 だから、一概に、教育でなんとかなるものではない、ということもできない。実に言いにくいことなのだが、覚せい剤を、数度体験した人には、その、集中と集中散漫の状態が、精神が見える、と、思う。この、「驚異の学説」をいきなり関を切ったかのように、ひらめいたのは、そんな中毒体験もあったから、である。「一定のドーパミンシステムが正常に働いた状態」では、日常のことが、大分、ましにできるようになる。が、過ぎたるは及ばざるが如し、というのが、この問題である。若気の至り、傲慢さから、わたくしは、完全にコントロールを失った過去を持つ。

「いつか、包丁振り回すハメになる」と今回裁判官から言われたが、実は、それは、卒業した話であった。…。

ADHDが、薬物中毒に陥りやすいのは、何を隠そう、「薬物による禁断症状が、生まれつき、そなわっているため」である。ただ覚せい剤には欠点がある。それは、「注意力」が、あまりにも過敏になるあまり、いちいちのことが、気になって仕方ない。その状態を、いとも簡単に心理的過程を経ずに、つまり、いきなり、薬理効果だけで、作り出してしまうものだから、世界に対して、疑念、猜疑心、妄想、それにとらわれて行動化した状態である、せん妄にいち早く陥る。注意力、集中のしすぎから、常に緊張状態に陥る。そんな感じである。それも極度に。速攻で。メカニズムというと、ややこしいかも知れないが、緊張状態、恐怖、不安、空想の行き過ぎた妄想、これが、なぜ、備わっているか、というと、命を守るため、に違いないのだが、その状態を司る受容体が、ドーパミンD2であり、これの受容体をふさいで、ドーパミンによる刺激反応を生じさせないようにする、というのが、一番確立された、精神病の治療薬である。それらの研究が進み、わかったのが、また、抑える薬の開発が進んで、社会適応可、となったため、そんな残酷なイメージをなんとかある程度、回避するためにできたことばがある。

「統合を失調してある」、という、考えてみれば、人間みんな当たり前の言葉を、病気に当てはめてあるのだ。ここでは、分裂病というが、その症状に陥るのが、統合失調症であり、要は覚せい剤精神病と、分裂病は全くメカニズムにおいては同じなのである。その、反対に「快感」「報酬機能」「満足」「多幸」を司る受容体が、D1受容体である。つまり、ドーパミンが放出されすぎて、それだけでは、外的攻撃因子が生命という個体に襲いかかったとき、襲われている危険な状態で、それでも、ドパミンによって、集中、多幸、快感、「妄想を忘れてまでの集中」に「うつつを抜かしている」ような、わたくしみたいな状態であった場合、どうなる? 生存に関わり,そうして、そんな人たちは淘汰されていきがちで、実際大分淘汰されてきた。だから、D2という、別の真逆の感情を誘発する受容体が存在しているのである(感情、それがすなわち、思考、空想、直観に影響することはあたりまえである)。

独学。いや、しかし、眠たい…。

そして現在さらに、困った、というと、男らしくないので、腹が立つ、ことに、近辺の医者から、やつにエフェドリンを出すな、という、もはや別にいらない通達がふれ回っている、ということを告知された。 物質的な問題でも、精神的な問題でも無論なく、「こころの問題」として、そういうふうにもっていかれると、通すべき窓口にはすべて、ありのままを恥を忍んで(!…やれやれ、まだ、忍ぶ恥があったか!)、だいのおとこが、なみだながらに、その恥を恥として隠すことも潔しとせず、もう一度いうが、だいのおとこが、ひたすら、ただ、人並みの覚醒水準をキープするために、やむなく、頭を下げ、時間を潰しながら、しかし、もし「あるきながら交通事故にあっては相手方に悪い」(ちなみに、交通事故だけで五回、救急車のお世話になっている)と、思い、健気にも病院に通ってた。と言って、現段階で症状に対処しうる方法も、胸を張ってやれる手段も、あまりない。あるにはあるが、ほぼ、それくらいしかないため、苦痛な待ち時間を、ギャグで乗り切りながら通っていたが、ますます、なんか、…言いにくいが、虫の居所が悪くなってきた! かまうもんか。

だが、ヒロポンを常用することだけは避けたい。しかし、症状に合わせていては、すでに遅い、多分、間に合わない。死ぬ、それは死ぬ!実のところ、悪知恵、といっておかしければ、処世術は他にもいっぱいあるのだが、それはそれでますます生活が、限られてくる。「自由の刑に処せられていた」人が羨ましい、とかの皮肉も思いついてしまう。わたくしは、症状に対応するためにいきているのではない。こんな言いたくもない愚痴も、そら、さらに言い方はどうかと思うが、「医療的村八分」に陥ると、ひがまずにはおられない。こぼさずにはおられない。確かに、刺激になれてしまったことも、大いにある、と認めるが、なぜ、他の向精神薬はいくらでも出せて、それに限っては、司法的裁きを経た今も、詰まり、許されていた自由の範囲内で、個人情報まで無視されて、「医療的制限をするものではない」はずの、納得の行く、治療が見つかった、わけではないが、マシな、方法を封じられていく。まさか、なんか、それに類似する、やり方をもう一度、と期待されてるのか、と、含み笑いをせずにはおられない。眠剤を飲みたくない、そして、実際、眠剤を、大幅に減らして、依存、中毒性のないもの、に切り替えた、ところ、これまた、ショックだ。おめでたい。法定の除外理由、と、そんな条件下でいわれても、わからないんだが? それはえたものの、全く関係のないものまで、他をあたってくれ、と言われても、まあ、これ以上は説明もめんどくさい。そして、あまりしてはならない、説明でもある。修行のやりなおしやな。おれは選挙には行かない。おれの虫の居所の悪いときに選挙なんぞやりやがって!

 今は。 悔しい。

 ADHDについて(驚異の学説下書き)

ADHDにおける、不眠、あるいは過眠、ナルコレプシーの問題に関して。これに関して、実体験から述べられる。

「多動性」で「覚醒を司るドーパミン」が不足がちであるにもかかわらず、なぜ、不眠ということになるのか、である。普通なら、「覚醒物質」「覚醒水準が低い」なら、「よく眠れるんじゃないのか?」と、諸君は今、そう考えているな? 

ことはそんな単純ではない。眠る、ためには、例えばメラトニン受容体、であるとか、ベンゾジアゼピン受容体(GABA受容体)への、伝達物質結合が鍵、だと、それだけだと、思っていないか? 残念なことに、それだけではないのである。まさに今、わたくしは眠い! 先程、流石に辛く、コンサータ(精神賦活剤。つまり覚醒剤だ)を服用量を守った上で、飲んだ。

で、どうなったか、というと、逆にものすごく眠い、今!

 どういうことか、なぜそんなことになるのか。答えてみたまえ。仮にここに学者がいたら、答えてみたまえ。

いいから! 

決して服用量が少ない、とか、そんな単純な話ではない。実は、眠る、ということも、有随意運動のような不随意運動だ。眠ろうと思って眠れる、人、も多いが、そうでない人も多かろう。

「集中力」が続かず、教室内をうろつきまわらずには、一時間の授業すらじっと耐えてきいていられず、うろつきまわる子どもたちがいい例である。おちつかない、からである。生まれ持って、覚せい剤(ちなみに、違法な方を「覚せい剤」と表記するのが司法的に正しい)の離脱症状(禁断症状)を抱え込んでいる、と以前言ったが、若かりし頃、中毒して、それでわかったことが、その、生まれ持って、禁断症状がもれなくついてくる、ということ。

まさに、別段、そんなものに手出ししてなかった頃から、ずっとついて回っていたためである。覚せい剤を、やめてからも、それは幼い頃と、変わってはいない。わたくしは、小さい頃から、ずっとあったそれら症状を、皆んながもっているものと勘違いして、ひたすら自分を責めた。薬物の中毒癖の成れの果て、とすら考えた。が、中毒を経て、やっと、それがわかった。眠れない、そのわけが。皆んなにしたところで、眠るためには、何が必要か、というと、心地よさ、である。焦りに焦った状態で、眠れるだろうか?

 そう、眠るためにすら、ある最低限度の集中力がいるのである。「快感」と言い換えても良い。「快感による。集中による落ち着き」でも良い。それは、眠剤を飲むと、余計に、行動を起こしてしまうことも、焦りが多少軽減するから、落ち着く程度に留まってしまい、普段動けないことを、行動化してしまう、と洞察できる。人は、眠るためにすら、「一定、最低限度の覚醒水準、あるいは、集中力がいる」のである。「心地よく眠る」以外に眠れるわけがない。寝入りばなに君たちは、焦っているだろうか?それが、覚醒剤を適量飲むことで反対にそれがうまく機能して、眠たくなる、のである。コンサータは特に徐放剤であるため、じわじわと効いてくるようにできている。となれば、いきなり覚醒するのでもないので(いきなり覚醒、というので注射が癖になるゆえんだ)、逆に眠りこけてしまう。実際の話だ。では、飲まなければいい、と思ってそれを実践しても、調子が良いとき悪いとき、というのが人にはあって、どういう状態か把握すら、数学的、数値的には見えない、ために、把握できず、いきなり状態が変わることもあり、道端で歩きながらも眠ってしまうのである。どうだ?

 何なら、試しに、

ああ、いうとこやった!

今回、覚せい剤で捕まった。前科にして三犯めだ。前歴はもはや覚えていない。

…やはり、それに(薬剤に)取って代わる方法を学ぶ必要があった。FBでの投稿をお読みの方の場合、しつこいが、数息観である。

寝るために、数息観なんぞ用いやがって、それは姑息感だ、とでもなんとでもいってくれ。あるいは、孤立感、というと、なんとなく、「股間がたってる」イメージである!数息観とは、ゆっくり、静かな呼吸をひたすら続けるのだが、その時、精神が乱れる、考えがそれを邪魔する。だから、ひたすらその呼吸の数、及び長さを、自分のペース時間でも良いから、数え続けることで、他の、感情を波立たせる妄想、空想の入り込む余地が無いほどに、精神統一(集中)をはかり、呼吸を勘定しておこう、というはらづもりである。時間のある限り、それをひたすら続けると、いつの間にか、ああ、夢見てた! となる。

 ひどいときは一時間くらいそれを続ける。が、やっているうちに、心地よくなってくるため、取り立てて苦痛ではない。そして、いつでも、どこでもできる。牢屋の中ですら、呼吸してはいけない、ワケがない、のでOKだ。それをひたすら続けていたら、規則正しく牢内では、ねれるようにさえなり、苦痛な夜の時間が楽しみですらあった。前にも言ったが、呼吸も有随意、でありながら、不随意である運動である。そして、わたくし、個人的には、まばたき、もその、有随意不随意運動にはいる。試しに、今からひたすらすばやく繰り返し、まばたきを連続してみるといい。おかしな気分になってくるから。長時間、といっても五分くらいでいいから。この間ちらっといった、LSD を凌駕するほどの意識状態にもっていく呼吸法これもあるが、それは、禅でいわれる、ゆっくり、静かな、呼吸とは真逆に、速い深い呼吸、これを、ひたすら、内面に集中しながら、二時間ほど続ける。バックに音楽を流す。内面に集中が向かうようなそんな音楽だ。

混沌コントロールに決まっている!

(続く)