Daily Archives: 2018年3月10日

March 10, 2018 at 02:52PM

ちょっと何か、ここ数日、メッキリ体調が悪い。酒と薬ばかり飲んでいる。もうちょっとしたら立ち上がるから、これをひたすら、39年間繰り返してきたから、大丈夫なはずだ。頑張ろうと思う。

March 10, 2018 at 06:32AM

間違いなく、おもろいんやろーな! 来月にいちいち引き延ばしてまで載せるというその、見事に、日本文化の新しき騎手として現れたその人間のかく文章は? おれなんかよりかは間違いなく面白いんやろうなあ!仮にもどこにも、笑える、ああ、しもた、苔むせるシーンがなかったら、おれはそいつを殴り倒してもいい、とおれは思うんだが、どんなもんだろうか、いや、間違ってるのは分かってっても、それでも、この場合、まちがってない可能性が考えられるから、タチが悪いもだよ。悔しいぜ、寝られないぜ。

March 10, 2018 at 06:18AM

「逃げる新潟」途中まで(もうだめだ、自分の才能も生き方も選んで来たことも、いちいち考えなくても良い事ばかり考えてしまう。三日くらい起きている。俺にかける文章なんてこの程度でじゃないのかとか、いろいろ自信がなくなて来た)

尼崎から、初めて、新潟に夜行バスできた理由は二つあった。一つは嫁の実家に挨拶しに来て、そのまま、嫁が故郷のほうが安心するからそのまま住もう、ということ。もう一つは、関わりのあったチンピラどもを見限って相手にしたくなく、尼崎における警察沙汰がほとほとめんどくさくなった、というものであった。
 十一月はじめ、もう既に寒い冬の訪れ、どころか、これではまるで、真冬だと思った。わたくしは夜行バスの中で睡眠薬をのんで、それでも、全く眠らずに、揺られて新潟に来た。尼崎で、わたくしは、生まれつきのADHDだ、という正しい診断をくだされるまでは「非定型精神病」という、精神科医三名による誤診を十六年間受け続け、大量の投薬によって、ほぼ、いや、完全に薬物中毒癖に陥っていた。周囲の友人たちから、完全に相手にされなくなっていた。つるむ、といえば、その、チンピラどもだけだった。それでも、特に憂鬱ではなく、むしろ、陽気に過ごしていたが、軽蔑していた。だらだらと、交遊が続いていた。警察沙汰は、しょっちゅうのことだった。そのチンピラ連中の中には、いわゆるホモもいた。いや、ホモ、というと、なんかその響きが笑ってしまうので、ゲイ、にしておこう。そいつは、ゲイ、だった。とてもとっても、ゲイだった。それだけなら、なんの偏見もないが、困ったことに、なんと、なんの取り柄もないわたくしに、惚れていたようだ。 …。やめてくれ。勘弁してくれ。
 わたくしのことについて、多少ふれておくと、尼崎では、誤診及び、実際はADHDであることから、三十歳までは、アルバイトや、一時期は建築商社の正社員として、働いていた。どこも、続かずに、仕事を転々としていた。それはしかし、障害だけが理由ではない。ひたすら、十七の時からエレクトリック・ギターを弾いていた。作曲は幼少の頃から出来た。だから、創作がしたかったのだ。当然、障害が発覚するまでは、性格破綻と周囲からはいわれみなされ、数年続けたバンドも、メンバーからの絶交によって解散した。それが、無性に悔しく、わたくしは、絶対に音楽にしがみついた。創作を続け、病気を悪化させた。そして、いまわしい時代、二十代後半において、まったくわたくしの体は動かず、実家に住んでいたが、家族と口をきくことも、ほぼなかった。沈黙の数年が続き、しまいに生活保護を受ける羽目となった。そこから、次第に体調は回復し、インターネットを覚え、ひたすら自分の曲をアップロードし続けて、次第に、曲の理解者が現れだした。生まれつきとしては、お調子者といっていいほど、楽観的な性格なので、益々調子づいて、アップロードの頻度はましていき、二百曲以上作り、すべてを、アップロードしていった。
 それから、しばらくそれをひたすら続けて、なんとも、光栄なことに、アメリカの友人、CNNのキャスターがわたくしの演奏姿を、全世界に向けて放映してくれた。嬉しかった。(なんでしたら、URLも載せましょか?)
 そして、現在の嫁と出会った。最初にいったように、嫁は新潟出身である。
 新潟から、尼崎まで、新幹線で会いに来たが、その顛末については、今はおいておこう。
 
 生活保護を受け、次第に体調は回復していった、とはいったもの、その生活は周囲の人間から見れば、「凄惨極まりない」ものだった、と、幾人かの知人、一時的インターネットで出会う友人、は、いっている。かたづけができない。とういうよりも、。部屋や身辺にまったく興味がない。服装は着の身着のまま、風呂に一週間くらいはいらないことは当たり前で、部屋の床中に、飲んだ薬のシートが散乱し、足場はなく、掃除などしたことはなかった。一度、警察に後に書くある事情で保護されたとき、現場検証のためにわたくしの部屋に踏み込んだ警官二名がつぶやいた。「これはひどい…。」
 さらには、陰湿で、虚言癖のある、さきほどのべた、ゲイ、に付きまとわれており、その事実をあとになって知ったわたくしは、そのゲイを友人とみなしていた。こいつがまた厄介だった。
 わたくしに対して接するとき、その男? 一応、男の年齢五十てまえの、俗に言うおっさんだ、そのおっさんはわたくしにたいするときは、極めて親切、いや、粘着的な態度を示していた。「いい人やな」と、安易にひとを信用しやすいわたくしは、そう思い続けていた。しかし、それがケツの穴、ああ、いや、落とし穴であった。不覚であった。…。
 新潟、というと、わたくしにとっては、坂口安吾である。田中角栄など、問題ではない。図書館で、坂口安吾の著作を懐かしく読んだ。読んだことのなかった図書も多くあり、嬉しく読んだ。資料館にも、足を運んだ。係員の女性が、安吾と似たようなメガネを掛けていたので、思わず、「それは、安吾さんを意識してるんですか?」などと、訪ねてみたが、女性は笑って、「頭の中身が違いますから」と照れながらうつむいて笑って、わたくしの方でも、面白かった。わたくしもまだ二十代の頃、決して、安吾の真似をしていたわけではないが、バルビツール酸や覚醒剤に中毒していた時期もある。そういう日々を振り返り、苦いような、懐かしいような気持である。
 
 初めて、新潟の地に降り立ったとき、嫁が車でむかえにきた。それまでは、わたくしたちは兵庫県尼崎市で一緒に住んでいた。というのも、わたくしは尼崎で生活保護を受けていたが、嫁の方はといえば、どうにも、関西、それも尼崎の喧騒に溶け込めず、肌が会わず、ストレスを感じて、一旦、帰って、新潟で仕事を見つけ、やり始め、家庭教師の職に就いていた。わたくしの脳障害が重度であり、また、間違った治療を医師がひたすら押し続け、わたくしはわたくしで「根性で治す」と意気込んでいたり、また、密かにその、精神科医たちの出す薬の副作用で、酩酊することを覚えて、そうなれば当然乱用に至るが、ともかくも、毎日、襲われる焦燥感と(集中欠如)治そうとしながらもいわば、めちゃくちゃで、お話にならず、そんな治療を続けてきたのだった。そして挙句、その挙句、出た、ただしい、重ねていうが、ただしい診断が、ADHDであり、「これは生まれつきの障害なので一生治らない」という答えだった(通院費から、診察代まで全て返してくれないと困るんだが!)。 
 生活保護に頼らざるをえない。極めつけなことには、ADHDといえば、ついこの間、遺伝子レベルの障害である、というのが九州のどこぞの大学で突き止められたばかりだ。だから、36歳で正しい診断が、理解が、いや、その兆候がやっと得られるにいたるまで、まったくわたくしは適切な治療を行えてはいなかったたので、もはや、山﨑は、もはや……。 ということだ。ややこのあたりの事情に関しては、実際に殺意を覚えるに至るほど憎悪していることでもあり、やや熱がこもってしまったが、実際、そんな事はどうでもよろしい。自己紹介がてら書いたまでだ。
 知能テストなるものも、うけた。所謂IQテストである。成人の平均が百、に対して、「精神科医」及び、「出口なきわたくしの悪あがき」によって、さんざん、頭脳やら知能やら、全身骨折にやら、自己破産やら、強制執行やら、はては投獄に至るまでのことやらを繰り返し、ありとあらゆる己を、破壊し尽くして生きてきた、という、ただ、それだけの、歪んだナルシシズムによって、結果のIQ65(軽度知的障害)という、結果は、流石に、その事実を、告げられたときは、ショックを受けたが、一時たてば、「ん? まてよ? もし、健常者、と言われる連中の中に、混じってその、明らかに、劣った知能だが頭脳だかIQだかなんだか知らんが、それだけの頭で、ここまで生き抜いてきた、というのは、はっきり言って、天才的、いや、「超人」のなせる技ではないか」、という確信に至る。それにそもそも、いま現代の日本社会人で、どれほどの人間が、「その百もある知能数値」を活用して、いきているのだろうか、とも冗談抜きで思ってしまった次第だ。はっきり言って、そんなもの、いらない社会構造になってはいないか? 一部の専門家を除いて、別に、「自分で考える」必要のある社会の構造をなしているだろうか。と、そんな気もしている。あえていうが、多少なりとも、わたくしの考え、意見に、みるべきものがあるとしたら、それはこそまさしく、「悪い頭で真剣に考える」ためだと、思っている。それに、わたくしは、決して、「頭」だけでは、考えたり、感じ取ったりはしない、作ったりはしない。強いて言えば、全身全霊を以って考え、物事を、受け止め、やれるだけのことをやるだけだ。その努力の中にこそ、結果以上に幸福のありかを知っているものだ、…と、ちょっと、なんか、かっこよく、語ってしてしまっている。申し訳ないが、これを書いている今現在も酔っ払っているからだ。
ああ、ええ、わたくし、ナルシストですから!
 新潟の冬、そして、去年の冬はあまりにも寒かった。少なくとも、尼崎において雪が降る、などということは、数年に一度あるかないか、というほどのことで、それは、表現を大げさにした、さらには目立ちたいわたくしが例えるなら、尼崎の場合「雪が降る」のではなく、「雪が降臨」する、くらいの奇跡的現象なのである。ここ、新潟のように、「膝のうえまで雪が積もる」なんてことは、ない。ところが、来たばかりのわたくしに対してなど、当たり前だが、当然、天が情け容赦する気などまるっきりなく、その冬中、雪と、冷たい雨をいらぬおせっかいのごとく提供していた。が、嫁にとっては、冬はこうでなくては、寂しい、辛いのだという。だから、わたくしが寒さくらい我慢すればいいだけ、と安易に考えていた、が、舐めておりました。馬鹿でありました。はっきりいって、寒くて、動けない! 疲れだした。次第に肉体の不調が精神を弱くしていった。
 はじめに書き忘れたが、わたくしは自身の障害や、現代医療、…特に精神医療に対しての懐疑、その誤診十六年をやらかしておいて、まったく謝罪の言葉すらない医者どもへの反撃、また、どのように考えても、おかしいとしかおもえない「大麻取締法」の規制見直しのための政治結社をつくり、そこの代表として、せめて、末期がんですら治癒の可能性をもった大麻を、医療で認めてくれないか、という主張のもと日々、インターネットで同じ意見のひとびとを募り、政治運動を展開しているものでもある。その政治結社の名を「医療大麻開放党」という(設立当初、大麻自由党。これは憲法で保証された幸福追求権をうけてのネーミングであったが、それでは、余りに、危機感がない、ので、不本意ながら、医療、という名目大義で展開することとした)。逮捕歴も、当然ある。その時、実は警察も大麻ごときで動きたくない、といっていた。
 衰弱した肉体、環境になれるまでに時間のかかる生まれつき、想像もつかなかった寒さ、気を使ったはずの嫁の実家との確執、などなど、それらすべてがともかく不愉快で、そしてそれを嫁に当たり散らすわたくしはもっと、不愉快だった。ストレスでアレルギー症状がひどくなっていった。体中に蕁麻疹ができた。このままでは、また暴れて精神病棟に入れられるのが落ちだ(その以前に薬物による錯乱で一度、ストレスによるもので一度、計、二度医療保護入院、つまり、強制入院させられた経緯がある)、そう確実に思った。そしてそこに、例の女優、…同じく「医療大麻」を看板に挙げる新党改革だかなんだか知らないが、そこから出馬したTが、ものの見事に落選した後に、大麻所持で捕まった。捕まるの勝手にやってくれれば良い。思う壺だ。もっと世間に「医療大麻」というミームを広げられるツールであり、プールだ。だが、女優はそのあまりにもスキャンダルな私生活はおいておくとしても、主張を貫かなかった。そして、思うに病気でも何でもない、単なる遊び女だっただけにも関わらず、「医療大麻で苦しむ患者を」などという偽善性を世間に晒し上げ、結果、世間は「結局は医療大麻なんて言っておいて、娯楽使用が目的に決まってる」というイメージを大にしたのだ。公判でも、その自分のやったことを、主義、主張を貫くことなく、刑罰にも課されることなく、勾留だけで逃れたのである。愛人とみられる男を犠牲にして。そんな生ぬるい態度に、普段なら笑ってバカにしてすんだだろうが、非常なストレス下にあったわたくしは、猛烈な怒りと反発心を、まるで、とり憑かれたかのように発揮してしまった。
 
 取引先くらい、いくらでもあった。大阪あたりでなら、いくらでも、大麻くらいなら手に入る。もはや、嫁ができて以来、また、体調の回復もあり、大麻を含む違法薬物や、覚醒剤に手を出すことはなかった。「おれは、著名人でもなんでもない、ただ一介の在野における作曲家だが、一応、日本初にして大麻の名を冠する政治結社を立ち上げた人間だ。主張がある。逮捕されて手錠をはめられたこともある、おれがやるしかない。そして、はっきりいうが、本気で体調が悪い。ムカついて仕方がない」そう思った。「おれが捕まったる、そこで、訴えかけたる」というヤケを起こしていた。嫁にはかかわるな、と言っておいたが、わたくしは、あまり隠し事の出来ない性分である。さりげなく、嫁には、犯罪をおかすが、これは決して悪いことではない、むしろ、社会性のためとおれが信じる行為だ、と、無理やり、納得させようとしたが、なかなか、引き下がらない。それで幾度も喧嘩を繰り返した後に、わたくしは強引に、以前、普通、ありえないことなのだが、時として、こういう偶然が起こり得るものだ。嫁が実家にちょっとした用事で帰って、わたくしは尼崎にいたとき、知らない携帯電話番号からいきなり電話が入った。確かにその電話に出る、その瞬間、かすかではあるが、何か、犯罪の予感が脳裏をよぎったことを、鮮明に覚えている。それを受け取って「どちらさまですか?」とたずねた時、男が出た、そして、やや怖気づいたような口調でこういった、「商品、シナモノの件で、お電話させていただいてるのですが」と。取引先、「商品」の品質、そんなことはどうでも良かったので、カネがないことを先に告げておいて、ヤサイは一グラムいくらだ? そして、ついでに参考までに訊いておくが、「シナモン」の方は一グラムあたりいくらだ? とそれをきくと、「シナモン」がなんと一グラム二万円である、という。その当時の事情にだけは通じてしっていたがため、ほとんど半額ではないか、と思った。ただし、今はカネがまったく手元に全くないから、また、いつか、といって電話を切ったのだが、その「いつか」が、このときに到来する。
然し、わたくしの強硬手段を阻む人間がいた。例のゲイである。虚言癖のある、例のゲイである。が、初めからいうと、実はそれも計算のうちだった。わたくしはこの男の、いや、「オカマ野郎」の陰湿さ、しつこさを知り尽くしている。なによりも、あっさりと嫁(やつからすれば、見知らぬ女)と結婚したわたくしに復讐したい一心で今、現在、行動していることを、全て見抜いていた。見かけ上は、偽善を働いて「仲直りしたい。今までさんざん迷惑かけた、許してほしい」などといっていたが、尼崎、つまり、やつの手の届く範囲内にいた頃に散々嫁にちょっかいをかけていじめたり、下手くそな演技で芝居をうったりして、周りを散々巻き込む形で、なんとか「山﨑を自分のものにならなくとも、手の届く範囲に留めておきたい」という、卑しい渇望がこの、男のすべてだと断言してもよかろう。それが叶わぬとなった異あま、やつに出来るのは、つまらない、ちょっかい、つまり、国家権力を介しての嫌がらせ、くらいだ。以前に、いちど、「マルサが」どうの、という、実際にには日本には存在しない機関を盾に我々家族一同全員を、睡眠薬やわたくしがおしえてやった処方薬物の組み合わせ等でハイになった余り、脅しかけている。その時は、即警察にもっていってやったが、「証拠不十分」ということで、しかし、事件性を認める、ということで警察からおっさんに対して、表現はこんなんじゃなかったと思うが、
「そんなにしつこく男の尻を追いかけるな、おっさん」
という注意勧告がいっただけだった。
 そのおっさん、シノハラ氏の、わたくしに彼女ができそうだ、というときになっての、必死さ、執着ぶり、彼女(今の嫁)に対する嫉妬心が先立ってしまい、いつも、間抜けに失敗するイジメ、また、阻止。わたくしたちがまだ付き合うかどうか、といった段階から、思い切って付き合おう、という決心にでたその時、にショートメール数通に渡り、深夜、しつこく送られてきたその、メールをここに、大人気なく、全公開する! 以下!
 「ぽいちゃん。マジで狂ってるような気がする?
 少しだけやけど面倒みてもらった事には感謝しても山殺気には長期な付き合いは無理な気がする。 山殺気が普通になるきっかけを作ってくれた事は良かったけど
 ぽいちゃんのやり方では山殺気が潰れるよ。
 山殺気の事を本当に理解できる女は他に絶対にいるはず。
 ぽいちゃんの考えではいずれ破綻するようにも思う。俺は嫉妬とかでは言ってないで。
 山殺気の病的なところはもう治ったように思う。あとは本当の女と出会うだけ。ぽいちゃんがそのきっかけを作ってくれた事だけがぽいちゃんだっただけ。
 山殺気はどう思う?
 ベルセルクの台詞を思い出した。
 あのホモのおっさんにいいはなったあの台詞を。
 山殺気は同情や優しさでなく本心でぽいちゃんを受け入れられる?
 ぽいちゃんに結婚を迫られて薬を必要以上に管理されることになるかもしれへん?
 俺はぽいちゃんの悲しみより
 山殺気が潰れる事を心配する。
 いまの山殺気なら山殺気を伸ばす女とも出会えるような気がする。
 ごめんね。
 勝手な事ばかり書きました。
 ぽいちゃんはたまたまやってきた石ころかもしれへん?
 もう言わんとく。
 ほんまにごめん」(改行、シノハラ氏本人。「ぽいちゃん」、というのが彼女、嫁の当時のニックネームであり、「山殺気」というのが、昔からわたくしが多様していたネットでのハンドルネームである)。

 …あきれた内容としか言いようがない。「俺は嫉妬とかで言ってないで」と、いちいち、きいてもいない強調をここでやらかすこと自体がこのおとこ(一応)が嫉妬に苛まれて、その嫉妬を強く意識したことを証明しているのだが、事態はやはり、そのままであった。と、言っても、嫉妬に狂ってその感情を暴露した、というのならまだいい。ストレートでよろしい。というのも、深夜、ショートメール数通において、我々を叩きおこしておきながら、訝しげに思った嫁が、「夜中、何度かシノハラさんからメールがきてたみたいだけど…」というので、わたくしは次第漏らさず、この内容を嫁に読んで聞かせた。表面上は、あえて、「不審に思った嫁が携帯をみた」ということにしておいて、シノハラにそれをつたえたのであるが、それは、わたくしの計算であった。すると、機を得たかのように、「え? あの子、そんなこと(ひとの携帯を勝手に覗くようなこと)、しよるん?」とわざとらしく、いうのである。実際はそれを狙っておきながら、だ。こっちとしては、いちいち、ハマってくれる、滑稽でこれ以上結構です、とでもいいたいやつだ。
いちいち、そんな遠回しな嫌がらせが続いた。そして、ある日、堪忍袋の緒が切れたわたくしはそのオカマを殴った。しかし、なぜか 
 オカマは殴られてうれしそうだった! わたくしはこの時に「新潟に逃げよう」、そう思いました。そう、覚悟を決めました。
 
 とはいえ、なにごとにも、踏まえるべき手順というものがある。恨みつらみ妬み嫉妬、そういった類のものを人間関係において残しておいてろくなことはない。以前、わたくしはそういう人間関係のもつれであばれたことがある。いや、あれは、ただ、人間関係ののもつれ、云々だったのだろうか。伝えられない自分の文章力がはがゆく、また、懐疑心のかたまりであると自分を思い込んでいるわたくしにとっては、あれは、本当に謎である。そう、いわゆる、「神がかり」という減現象だとしか言いようがない。しかし、内的な体験をことばで「そのまま」伝えることが不可能である、ということを知っているわたくしとしては、その事件がおこった時に、殴り書いた文章をここに、載せるにとどめておくよりほかない。文学的にいうなればい「異化」とでも銘打っておくが、単なる殴り書きがこの文章の取り柄だ。
………………
(調書作成をかねて。音個というのはわたくし本人だ)
 音個は全裸で保護された。ありとあらゆる点で恥ずかしかった。ただし、誰かの代わりに恥をかいているようなところもあった。周りの方々はとてつもなく優しかったがったが、やっぱり音個は恥ずかしかった。常に、なんか笑っていた。恥ずかしながら、それでもこの誇り高い国でいきていた。日本である。
三十六歳の初夏のことである。生まれつき優しかった。ほかの誰よりも優しかったといいえるが、ただ、弱かった。虚弱ですらあった。すでに右足も失っていた。2.0あった視力も、今では、ほぼなかった。利き腕はふるえていたが、得意のへたくそな
エレキ
を弾く時だけは何とかおさまっていた。
馬鹿であった。人を信頼することしかなかった。あほであった。完全に自信はなかったが、それでも、なんとか、一人くらいは守れるのではないか、と、強がってこと、暴れたことあったが、人を意図して直接暴力をふるうことは絶対になかったといいえる。薬物中毒壁に陥った。
集中力が続かなかった。それで、時に空気は読めず、周りに被害が及ぶことが多かった。ただ、いちずであった。無防備、なまでに、無残なまでに。
みたてでは、発達障害の傾向にあり、16年間誤診を受けていた。無様であった。
実際あらゆる点でおびえており、それで、時に我慢ができずに、暴れることがあった。
誰も話は聞かなかった。すくなくとも半分くらいしか、聞いてはくれなかった。それで、時に罵声を浴びせた。さらに相手にされなくなっていった。
犠牲がいる、そう思った。スケープゴートがいる。そう思った。ただし、おれが死ねば、次に被害が出るのは、家族か友人か、彼を愛す人とか、とにかく、俺の次にさみしいやつだ。そう信じ込んでそれを証明したかった。
36歳の初夏のある日、人間関係も破綻し、一切に希望を見いだせなかったある日、いろいろ、脅迫やPCハッキングをくらわされて、正直怯えて混乱していた。死んでもいい、と思った。しかしところが、やっぱり音個は最後のところで、勇気がなかった。悔しかった、無性に悔しかった。思い切って最後のところを見せつけようと思い、ざまあみろ、そういってから、目につく限りのもの(薬品等)を飲んだ。それでも、やっぱり生きていた。天井からぶら下がるイメージが、音個を捉えきっていた。抵抗した。それは先にやられていた。だから、抵抗し、また、そのときは薬物の影響下により混乱していたため、できなかった。
次の犠牲、とにかく、おれの次にさみしいやつ、だ。そう信じ込んでいた。ほとんどの点では的を得ていた、といいえる。
徹底的に恥をかけばいい、そう思った。壁は崩せなかったので、よじ登って乗り越えた。それも、血まみれで。
助けてくれだれか。暴れながらも、助けを求めた。気が付いたときに警察に保護されており、泣いていた。ひとりで、膝を抱えて。
安易であった。しかし、おれのほかの誰か、あるいは一人、あるいは集団で安易ではなかっただろうか。助けてくれ。少し休ませてくれ。お願いだ;。
これ以上、今は悲惨なことを聞かせないでほしい。
おれのほかにその悲惨な片隅を、直視、してなかったのではなかろうか。やや、そう思う。
悲惨なところからは目をそらしていなかったか。少しそうおもう。
今朝、おれの部屋を、一瞥してから、「これはひどい」。警察はそういった。
それを、みせてもいい。
それが、みたいか? 誰かなんかゆうてほしい。
体中がいたい。寝てるだけで消耗する。ちょっとゆっくりしゃべらせてほしい。実際、呼吸があがってる。しせいがたもたれへん。
一か所がゆがむのはなぜか、ぜんたいがゆがんでいるためである。
音個は以前にも、35にして勾留を受けていた。その間に覚えた一つの怒りについて、少し書きたい。
いまでもよく記憶しているのは、授業で絵画の時間が始まったときです。先生が、絵を描く道具を出して描きなさい、と言うのです。私は何も持っていません。私は瞬間に、わかりましたー母は学校で絵の時間があるのを知らない。絵を描くには、クレヨンやクレパスといった絵具が必要なことも知らない、と。
私は子供心に、母が私の、市か県か国かが支給してくれた学材費を生活費のほうに回してしまった、と気づいたのでした。「あっ、忘れたあ」、私は先生にそう言って席を立ち、画材を家から「取ってくる」と嘘をついて家へ戻ったのでした。
私は家で、しばらく母の帰りを待っていました。行商から帰ってきた母に「絵描くのに、クレパスいるんや」となじりました。母はうろたえました。百円でも二百円でも準備したでしょうが、クレパスが幾らなのかわからず、母は三十円くれました。私は文房具屋に走りました。
五色入りのクレヨンは、五十円でした。三十円しかありません。しかし、小さな学齢期の子供が、授業時間に学用品を買いに来ることから察したのか、文房具屋のオバさんは値段をまけてくれたのでした。学校への帰り道、私は誰に対してかわかりませんが、たとえようのない怒りに捕らえられていました。
中上健次
これにやや
やや似たケース
を、彼は、社会のなか、というより、
そこを追放された、牢屋の中で痛感する。
必要、というよりも、甘えで。
クレヨン、を甘いものにたとえるといい。
勾留をうける数日前から、薬しか飲んでいなかった;;。、かくことは、マスターベーションいがい、殺気を帯びてだんだん凶暴になっていた。
(今、誰か、玄関の扉に来なかったか、殺気にみちて目が覚める。いたみで、目を覚ましてることが困難だ。脳内麻薬、それだと思う。次、おれの目の前に現れてみろ。せんこくのとおりだ)
(それよりも部屋を引き払わなくてはいけない。片づけなければいけない)
勾留を受ける数日前に、わたくしは、不動産屋の担当の方に5000円を借りておりました。食費です。しかし、捕まる当日、ポケットの中に、管理不足です。なくしてしまっていたのでいた。そこで、安易ながら、つかまったのですが、わたくしはその借りたお金が心配で仕方なく、会いに来た母親に、なんとか、返すのでとりあえず、Kさんに5000円返しておいてほしい、と頼み込みました。数日、正直わたくしは腹が減っておりました。
「貧困による」といいわたされて、いれられた牢屋の中には鉄格子、それ以外何もなく、読みたい本もなく、眠れず、途方に暮れておりました。何もすることがなく、心配するだけです。おれはどうなるのか、よくわからんが自業自得だ。
甘いものが食べたい、ひそかにそう思っておりました。購買がある、それは知っておりましたが、カネを持っていない。
ある夜、差し入れがあったというので、用紙を二枚ほど渡され、サインを求められました。拇印がいる、早くしろ、と確かにこのようにいわれました。わたくしは、「だれが?」とそれだけをききましたが、看守は「そんなこと、あとで見ればわかる、早くしろ」というのです。正直むかつきましたが、言われた通りにし、あとで、差し出し人の名前を確認したところ、そこにはKさんの名前が書き込まれてありました。 借りたその五千円です。わたくしはありがたい、と思う以前に、はるかに誰に対してなのかわからない怒りに駆られておりました。;;
勾留を二か月近く終え、出てきたころ、血便が出ており、しまいには、血以外でてきませんでした。すぐ、病院に行きましたところ、腎臓にポリープができておりました。死ぬ寸前でございました。;;
右足。たぶん、これのリハビリが先だ。そう思う。
音個はた悲しいやつだった。どんな悲惨な状況を見渡しても、まず、駄洒落をゆってしまう、そんなやつだった。
駄洒落から、人生を始めてしまう、そんな、かなしいやつだった。そもそも、その名前を解説するに、「やまさきまさゆき」だ。この名前から、ヤギョウを、抜いて見るに一目瞭然だ。それは、
アントナン・アルトー以上にごろあわせだ。
「何を持ってしてもそれを埋めることはできなかった。いつしかわたくしの後頭部に生じた名前のない、一個の空虚の穴」アントナン・アルトー。
警察の保護からの帰り道、なにかもがつらかった。」道行く通勤中の方々に頭を下げ、心中で「失礼します」と言ってから、目を伏せた。
往来で、土下座がしたかった。実際に隣室の方にお詫びを上げに行ったところ、出てはくれなかったので、土下座をしてから、部屋に入って何かを書き出した。ラスコーリニコフのように、ひざまづきたかった。
しかし、それでも、一つだけでも、勝ち取らねばならない何かがあった。どうするのかは知らなかった。知らない。それでも、とにかく書くことだ。そう思った。
PCに至っては、三台破壊されてしまっていた。あるアドバイスによると、ハッキングの犯人は「愉快犯」だときいたが、思った。そんな遠まわしせんと、話聞いてくださいよ、と。
けんか腰であった理由。自分自身を鼓舞するためだ。
普段気力がなかったため、だ。
それも血まみれで。
「不愉快、であった場合、やめればいい」警察からはそう教わった。
「では、自分のラインでかく場合、多少何も書いてもいいんだな、基地外のたわごとだ」そう思った。間違ってる、そう思う。
とはいえ、人にたずねながら、これはかいてもいいんですか、そうたずねた。が、いちいち、人がいるとは限らない。
だいたいわれたことが、「別に何を書いてもいい、お前が書いたところでキチガイのたわごとだ」そうかえってきた。
そこで、「これはすべて創作である」そう言って、武装した。
ところが何も書いてもいい、どころではなく、何を書いてもうるさがれた。実際にPC(パトカーではなく)は破壊されていた。傷だらけ。無様であった。
時に判断は狂った。
知らない人のことはわからない。自分自身にいいきかせていた。投影した人はいませんか。
たぶんにそこは、あおったやつがいたわけだ。言いにくいが、次に姿をあらわしたときはせんこくのとおりだ。
だから、絶対にくるな。
………………
よく説明できないし、みなさんは理解できないかもしれないが、これがなかば、錯乱状態、その意識で懸命に書いた、その、意識の一断片である。
そして先に、わたくしが「犯罪行為を犯す」と、断言したとおり、
…冬のある日、ガサ入れが入った。
その時のメモの断片も、ここに記しておく。これも、殴り書きなので、よく理解できないかもしれないが、それでも、ありのままを載せる。
………………
昨日の(大麻取締法・覚醒剤取締法違反における取り調べ)まとめ
途中経過
ゆるしてくれみんな! おれは絶対に令状などみてない、といったが、寝ぼけていたため、覚えていなかっただけで、しっかり、家の中で令状を提示されてるところ、写されていた! でも、それでも、不法侵入だと思っている! 現行犯じゃあなかった! 絶対に! 隠滅する証拠なども残っていなかった!肖像権、プライバシーの問題、なども、出そうと思えば出せる!でも、刑事さんがよい人だったので、俺はそこをつこうとは思わない。
結論から、いうと、ナルコレプシーの症状が出て、調中その約、6分の5、くらいは寝てしまっていた、ということだ。しっかり、送検は、なされるそうだ。
それでも、「医療大麻開放党」の必要性、その重大さ、世界的であるための政治活動である、ということは、しっかり、調書に刻み込んでいただいた。「僕と同じような苦しみにさいなまれて、苦痛を緩和するすべがない、そんな人たちのために僕はやってるのだ」とも、書いてくれていた。
けっこう、やっぱり、単に快楽目的でちゃらちゃらやるジャンキーども、と、そうでない人間の区別くらいは、刑事ともなると、しっかり見極めてくれてはいるみたいだった。
「別に症状がとまれば何でもよく、大麻の品種、銘柄など、はっきり言って何でもよかった。そこまでの興味はいまさらない」とも、言っておいた。
「はっきりいって、わたくしはいわゆる、現在の大御所大麻運動家たちを軽蔑している、なぜ、そんな御託を並べ立てておきながら、誰も政治団体の一つも作らずに、作れずに英雄気取りなのか」とも。しかも、わたくしがやってのけたら、嫉妬までして煙たがるのか、また、覚悟の一つも決まっておらないのに、出馬などして、言い訳して、逃げるのか、そして挙句、陰謀論など持ち出してきて、そんな連中が幅を利かせてわたくしは、何年も十年以上待ったが、何一つ、改善できなかったではないか、とも、ぶっちゃけのところを言ってあざ笑った。
エルネスト・ゲバラは、医者から革命家に転ずるに、「医者は個人の命を救うに対して、政治はその根本要因を取り除く」という葛藤から、命を賭した。
つまらない。つまらなさすぎる。いい加減うんざりだ。
わたくしが今まで得た知識の中で暴力的な警察のやり口を告発しておく。なぜというに、「供述拒否権」の説明をする過程で「決して嘘をついていい、というのとは違いますからね」、と絶対に言われるのだが、ほかならぬ、警察自身がうそをいうからである。
まあ、わたくしには正当防衛以外での殺人や強姦とか、そんな、大罪を犯す肝っ玉はない、はっきり言ってないし、そして、必要ない、と思っている、ので軽犯罪、窃盗(万引き程度)薬物の自己使用所持程度の場合だけしか語れない。
鉄則。全て正直に話す。しかし、それはできない、ということは多い、友人を売るような真似をしたいと思うか? おれは今回、有言実行の形で篠原のこともしゃべっておいたが、普通、したくないはずだ。薬物の件であれば、だいたいが、数人で通謀行為をなしている。連れに回す場合なども、大いに有り得る。その時…(* ここで何かを書こうとして、途切れてある)
………………